9月4日 

 九州は福岡県田川市に滞在すること10日。展覧会はまだ続くが、9月3日帰宅。ほとんど夫に運転させて。途中行きと同じく宮島SAで遅い昼食を摂った。行きに見られた景観は生憎。下りサイドで晴天の宮島や瀬戸内の海を眺めたことで先を急ぐ。天候が荒れているらしく、あちこちで大雨洪水警報が出されているなか、新名神高速道路の土山SAで夕食。20時。甲賀地方に大雨警報が出ているのでここで仮眠4時間。もう富士宮は近いという夫と富士SPで朝食。
 9時過ぎ、店内に川が流れ、蔵のある文具店「Rihei」 に13点の絵をハンギング。120号80号60号50号を含めて20号までの13点。趣の十分な蔵に入って、広い美術館とは又違った雰囲気に即順応する絵画を正座して見るのもいいもの。2ヶ所の新聞社の取材が早速あった。明日5日はもう一ヶ所の新聞社が取材をしてくれる予定。
 お宮横町 「ぷくいち」と 「Rihei 蔵」 の2ヶ所で28点の多田祐子の絵画を見られます。どうぞ多くの方々にご高覧いただきたく思います。

 さて、田川市では、西日本新聞社が取材してくださってカラー掲載。NHK福岡放送も美術館開催中に放送してくださったので、遠くからも興味をもった同じ美術家の方たちが駆けつけてくださった。朝早い時間帯の放映であったが、見ていた人たちはとてもキレイな色だったといって教えてくださった。急ぎ掲載やら放映やらにご協力くださったマスコミ関係者さんに感謝です。
 田川市では毎朝自炊をして健康に気をつけた。夜は滞在先の所から10数メートルくらいの所にある“海鮮茶屋”で、夕刻にただいまといっておじゃまをした。すっかりお世話になった。丁度中日あたりに夫金城の誕生日だったのだが、その日美術館に来合わせた茶屋の女将姉妹に、夕刻は一品なにか造っておいてとリクエストしておいたら、蟹が出されしかもお店からのプレゼントとのこと。次の日からも一品づつ多くいただいた。テレビ放映の在った日に又トコポラも含め姉妹で鑑賞に見えられて家族関係。

 以前に牛久市に住んで居られた荒川ご夫妻が現在は田川市の隣町、添田町におられ、荒川和子さんにもすっかりお世話になった。毎日美術館に来てくださって受付を手伝っていただいた。
入館者数を数えるということがあったから、受付が2人では窮屈で、田中ゆき枝ちゃんと3人で交代できた。トコポラのパーティでは蟹のハサミのサラダを大盛皿一杯に差し入れをいただき恐縮と共に有り難うございました。ご主人が東京では銀座や青山で毎回見てくださったとは知らずに居りまして、このこともびっくりでした。同順会にあったPIGA画廊から10年目だったとおしゃる荒川氏に、お礼を改めて申します。

搬出は荒川さんのお友達も手伝ってくださり助かりました。ハンギングの時はMr.Fujiwaraが高ーい脚立を上り下りしてくださり、照明も同時に調整してくれて
思ったよりも早く終わりました。その脚立の上り下りが搬出時はなくて大助かり。金城にやって貰うしかなかったのでしたが、彼も疲れていたから、やれやれでした。

トコポラの主はじめ、田川市のみなさんは親切で頼りがいがあり、陽気でおもしろい人ばかり。みんな名物人物でした。
まだまだ続く多田祐子展を宜しくお願いいたします。
特に家を貸してくださった中住きよみさん、私多田祐子を呼んでくださって有り難う。深くお礼を申し上げます。

ニューヨークと田川市の出会いによって

25日朝9:30〜 市美術館の飾り付けを、イギリスから帰国して加勢してくださったMr.Fujiwaraに加えて、千葉県佐倉市の田中ゆき枝さん。地元に住む、荒川和子さんとその従姉妹の方を加えて、夫金城の6名で無事16時頃に終了。

美術館の方は3号から120号までの39点を展示したが、発表出来ずにいたoil on paperの3点を飾った。15年前にニューヨークのアパートで作製した作品がようやく人目に触れる。
声を掛けてくださった中住きよみさんのおかげで、ニューヨークで出会ったときに作った作品を引っ張りだすことができ感謝。

田川市美術館
写真は全てMr. Fujiwara 撮影です。

8月21日 富士宮行

 朝4時起で、富士宮市へ行ってきました。田川市行の大型キャラバンロングの車を借りるために。貸してくださるコレクターの方がセットしてくださった「甘味処のぷくいち」に油絵11点を持参。コレクターの持つ作品を含めて15点をハンギングしてきた。白い壁に。午前中には飾終わって、夕刻キャプションを貼って、田川市行にもれて、焼き餅を焼いた我が作品群が満足していた。奇しくも本日8月21日に、田川市の現代美術ギャラリーto.ko.po.la と 兼ねてからの馴染みの街の富士宮、浅間神社前 お宮横丁「ぷくいち」で、多田祐子の作品展が始まった。26日からは田川市美術館でも開催されるから、なんという幸せ者の貧乏絵描き 多田祐子 だろう。ぷくいち のオーナーは若い頃
葉山のジャンボクラブで4年間働いていたそうで、我が家から歩いても20分のところ。さらには奥さんのお父様のご出身が宮城県の鳴子とのこと、いっきに話しが盛り上がる。
つぶあんの白玉しるこをいただいて、コレクター一家の大お世話にあずかり、無事帰着。ボストンで美術品の学芸員の勉強に勤しむ“ボン”も帰国中で、一昨年京都の願成寺で会って以来、一年10ヶ月ぶりに会い、いろいろと力及び知恵を貸していただいた。富士宮の街の方々にも親切に迎えていただいた。
 田川市のto.ko.po.laギャラリーではなんとなんと垂れ幕を準備してくださっていて、中住さんさえ感激して写メールを送ってきた。金色をした布地に yuko tada Exhibition とある。まるでメトロポリタンミュージアム。なにやらなにやらかたじけなさに なみだこぼるる。
 25日に飾り付けをします。26日からオープンです。トコポラは水曜日はお休み。土曜日にはパーティを。

 なお、富士宮市のお宮横丁「ぷくいち」の展覧会は9月11日までです。美味い甘味と共に「いぃ絵画」をどうぞ一度お試し下さい。大きい富士山が迎えてくれます。

8月17日  旧暦では7月17日望月

 今日は望月。残念ながら曇り空。昨夜美しい月を眺めることができたから満足している。少しゆがんだ月が絵画的で流れゆく雲がマラソンのように速かった。
お盆の送り火をしながら、実は夜空を眺めていた。秋のように澄み切った空と思ったら、今日は涼しい一日。田川市での展覧会の準備をしている私としては、汗をかかずに
一日を過ごすことが出来た。梱包におわれていた3〜4日前はアイスノンを首の後ろにまいて、暑さをしのいだ。夫はじゃまだといって玉の汗をかきながらも手伝ってくれた。
47点の作品を送った。21日から始まる現代美術ギャラリーto.ko.po.laさんの分。飾り付けをギャラリーのスタッフの方にお願いした。お世話してくださる中住きよみさんも
加わってくれる。かなり重量のある梱包2個が、お気の毒。個数は9梱包。今は無事に18日の午前中に配達されることを祈っている。
 そして、本日は市美術館の分のキャプションを準備。制作年代を調べるのに手間取る。挨拶文も考えた。長くならないように。
21日、キャラバンロングのフラットフロアーの車を貸してくださる富士宮市のコレクターのところに行く。
22日、車に田川市美術館の分を積み込み、23日いよいよ出発することになる。
その前に19日、佐倉市のコレクターのところのお嬢さんが来てくださる。一緒に田川市に行って手伝ってくださることになり、こころ強い。
24日の午前7:30には京都の深草バス停でMR.FUJIWARAをピックアップする。彼は今イギリスのエジンバラで芝居の公演中。今日が最後の芝居の日。
市美術館でのハンギングの事をお任せしたい。かなりセンスが信頼できるから。
田川市では近隣に引っ越して行った元かっぱ村民の荒川さんが手伝ってくださる。お電話を頂いたときには飛び上がるほど嬉しかった。車で20分〜30分のところという。
毎日手伝って、ということになっている。なにしろ26日から31日までは2ヶ所の美術館での開催。30日は市美術館は開館時間を延長してくださる。7時まで。
この夕刻はto.ko.po.laギャラリーでパーティをするので、それにこどもさんたちの親御さん方が美術館の閉館が早すぎて自分の子の絵を観に行かれない、といったご要望が
あった為らしい。私としてはラッキー。市美術館とギャラリートコポラは徒歩5〜6分。
昨日、葉山コロッケを100個届くように手配した。手作りのピクルスも作った。2週間後には美味しく出来上がっているはず。日に何度かタッパーウエアーを逆さまにしては
冷蔵庫で出来上がるのを待つ。持参のことを忘れないようにしないと。
 
ああそうそう、10日のお祭り、神明社の御神輿お渡りは無事住みました。ゴーヤーチャンプルー、さくら飯、お団子、枝豆、シャーベット、かまぼこ、赤こんにゃく、
そして、曽我漬などなど例年通り、皆さんに楽しんでいただきました。反省会は、来年もどうぞ宜しく、でお仕舞いでした。では、田川市から帰ってから、また。

8月5日  旧暦では7月5日

 田川市での展覧会が近づいた。市美術館のほうの看板が、なかずみ清美さんの手描きで、8月3日に設置された。ベニヤ板を横2枚に使用しての看板で、なかなかしゃれている。それに大きい。携帯電話の写メールで送ってくれた。看板は送るには大変で、田川市に行ってからでは遅すぎで、諦めていた。1ヶ月前から掲示ができるそうで、なかずみさんは少々遅れていることを気に掛けてくださった。ありがとう、ありがとう、ありがとう。
 8月10日のお祭りが終わり次第、梱包作業にかかります。8月7日に道路の草刈りと清掃。8日はお寺さんのおせがき。9日は“かっぱ村”の封筒の準備と買い出し。
17日にはto.ko.po.laギャラリーさんの前期の展示作品を発送します。まだ倉庫から出していません。お盆やすみの夫の力を借りないと上手には出来そうにないから。ニューヨークに送るときよりも4倍近い数で、一人では出来ない。それにしてもニューヨークへの発送時代は夫の手伝いはあまりうけなかった。夫も仕事が忙しく、私が若かったのだと、つくづく思う。最初は41才だった。福岡県の赤村に住んでいる、なかずみ清美さんと会ったのは45才の頃。彼女は現在、絵画教室を田川市と赤村の2ヶ所で主宰している。
 元気いっぱいのシャレた看板に早く逢いたい。
 

7月26日

 今年ももちもちの木にたくさんの花が咲いた。蝶が来ていて幻想的になる午後4時ころは見事だったが、もはや花が終わっている。
 田川市における展覧会の準備にはいる前に祭りがある。氏神様は神明社さんで天照皇大神。今年は8月10日に本神輿のお渡りがあることになっていて、例年通りに
ご近所の方方とお振る舞いをする。わたしはゴーヤーチャンプルーやおだんごを作りさくら飯を作る予定。さくらめしは鮹めしで鮹と一諸にご飯を炊くとほんのりさくら色に炊きあがる。夏の一瞬の祭りだがいつも神様のお陰や仏のお陰にあずかる気のする今日だからいよいよ身も清めて暑い夏を送りたい。
 京都の上賀茂神社で引いたおみくじのお力は翌年のエルミタージュ美術館収蔵につながった。今も大事にしてお力を頂いている。7月5日は五十鈴川での禊祓いを。そのあとで
御正宮に参拝がかなった。かたじけなさに 涙こぼるる のです。

   しめやかに 神の冥助を 思ひゐる 生あることの われの春秋

   うるわしき 神のみしるし 日々在りて 虫めくわれに 助成あれかし
                                        
 とこのような今日です。

 今夜は友人のお父上が亡くなられて、通夜に、戸塚まで行って来たところです。

旧歴では6月15日

 明日は旧暦で6月16日、望月になっている。今夜の月は木々の上からまだ登って居らずに見ることが出来ない。昨夜の月は木々の間から、そして雲の間から眺められた。もうそろそろ梅雨あけだろうか。夏の月であっても眺めたいものの一つ。冬の夜空とは違った角度にあって山の木々にかくされて見えにくい。二階から見ても木にひっかかっている。
 さて、ようやく夫の会社の決算が私の手を離れた。会計士さんのところに書類を発送したので、今日はバンザイである。84円あわなかったが、探しきれなかった。何かの計算違いがある。回収と未回収、払込手数料?とにかく判らない。税金には差し障りのない金額。何日も悩むほどもない。でしょ?
 明日から絵にもどって未完成作品と格闘しよう。田川市での展覧会のDMも未発送のままだ。そろそろ九州方面には出しましょう。
今朝の歌から

 蝉時雨にはかにふりて 神々のお悦びときく 伊勢の御社

御正宮を参拝の後の午後4時、いっせいに、おおくま蝉が鳴きしきったのでした ワシワシワシと

田川市における展覧会のDM

8月21日〜11月24日まで  現代美術ギャラリーto.ko.po.la  (10月2日〜展示内容が変わります)
8月26日〜31日まで  田川市美術館  30日(土曜日)は午後7時まで開館
8月30日 18:30 〜レセプションパーティ  to.ko.po.la にて

7月5日 伊勢神宮内宮 御正宮 正式参拝

 朝5時半、五十鈴川の清流に身を沈め気を鎮め 禊 を行う。厳寒期での禊ではなかったけれど、初体験の身には良かったのかも。冷たくなく体温に近い水温。丹田に“祓戸の
大神”を呼び込んで鎮まること20分程。若い神官さんの指導の元、事前の準備が長かった。もう少し五十鈴川に浸かっているのかと思いきや、であった。
 9時半、内宮の御正宮に玉砂利を踏みつつ厳かに二礼二拍手一礼。この御正宮の内側まで入っての参拝には“かたじけなさに 涙こぼるる”(西行の歌  なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる  この歌はきっと意味が違うはずだが=西行法師は璋子中宮に道ならぬ恋をいだいていたからそれが元で出家する )
のであった。
 神楽殿では舞を3舞台。この日は前日にも増しての暑さ。しばらくは冷房の利いた大神楽殿で御巫さんや神子さんの舞を篳篥、笙の音、鉦の音で涼む。
 この日に企画された参集殿での「奉納舞楽 アマテラス」については我らがかっぱ村公報に書きたいので、ここでは省略。
 いのちのふるさとへ誘われるままに 伊勢神宮内宮 ご参拝の儀、御奉納の儀に参会したのであった。
 直会の昼食時に頂戴した響膳の三方と素焼きの器四枚を眺めつつ新しい出会いの数々に思いを馳せ、あらためて西行法師の歌の一節 ”かたじけなさに 涙こぼるる”のです。