グループ展ふたつ

4月5日からの日アセアン友好文化交流展・国際機関日本アセアンセンターでの展覧会に最終日、駆けつけた。
この日は、牛久散歩の会を同好の会、いわゆるかっぱ村の行事で、朝早く家を出た。快晴でしかも寒くない一日。
牛久沼は樹々に隠されて、40年や30年前とは様子が変わっていた。芋銭かっぱ、そして何より我々かっぱ村初代村長中河与一の歌碑を新しい村民さんたちと、確認。撮影。小川芋銭のアトリエ雲魚亭は春の燻蒸中で拝観出来ず。
直ぐ近くに住井すゑさんの文学館が出来ていて、見学。令和3年度に開館という文学館は素晴らしいものだった。
この庭からは牛久沼が望めた。
昼ごはんは寿司ランチ。14名の集団。同じものを予約しておいて、私は東京御成門駅に向かった。
牛久大仏を見たいグループができ、案内してくださる運転手さんも、名乗りを挙げてくださって、帰宅組とに別れる。

御成門駅近くの会場は5時まで。どうにか4時に到着。お夕飯を一緒にしようと約束したお友達も現れて、展覧会のスタッフさんたちとお喋りもそこそこに、会場を後にする。
昨日がお誕生日のお友達と、品川駅構内で、あれこれレストランを見て回った挙句、パスタで決まり。

4月12日。下北沢に。こちらもグループ展。3点出品。
9日に牛久でお会いした、笠間焼の研究で大学院に学ぶ、博士課程の聰子さんが来てくださり、やはり9日に御成門駅近くの会場にも来てくださったお友達則子さんと3人で、グループ展を観賞。
その3人官女⁉️で、お昼。リゾットメニューは則子さん。フレンチトーストは聰子さんと私。
水戸市から来られた聰子さんは、立ち並ぶお店を覗きたい❣️というので、彼女を路上に残しサヨナラ。

今下水道工事が続くこの近辺の道は日替わりで、通れなかったり。近くまで来てみないと、今日の工事は終了、が判らない。帰宅後改めて、郵便局へ車を走らす。

写真が大き過ぎで載らない。編集し直して載せます。
庭の伸び放題のカラスノエンドウやら、刺草を刈らずに、豆冊子本を組んでいる。

14日施設から帰宅する夫、8泊9日の不在である。

小川芋銭の河童碑  後ろに隠れているのはかっぱ村民の長老
4月9日/ 碑面にきざまれてあるのは『誰識古人画龍心』・七言漢詩
小川芋銭の河童碑  後ろに隠れているのはかっぱ村民の長老
日アセアン友好文化交流展に出品の「隠れ家」6号
日アセアン友好文化交流展に出品の「隠れ家」6号
春のアート展・スマートシップギャラリーで
左則子さん 右聰子さん
春のアート展・スマートシップギャラリーで

  豆冊子No.45

4月に入った。花冷えで寒い。庭の白い椿の花がいつから咲いたのやら、落ちていて、ああ何日間か庭を眺めて居なかったんだと思う。
東側の庭は一面に春の草が生い茂って伸びつつある。眺めて居る間にも伸びる勢いを感じて、小さな花を付けているくさぐさを、まぁ刈らずにおこう! と、玄関に入る。
今、豆冊子の45号を作りかけていて、取り敢えず4冊ホチキスで留めた。仏壇にご報告。夫金城は今日の午前中から施設に、ショート・スティ。洗濯物をピックアップしに行く時に一冊持って行こう。手に握りしめてくれるので、嬉しくなるが、コロナで会うことは出来ないから、
想像だが、いつもそうしてくれる夫。
今回は68首で止めた。ここのところ前書き、後書きを入れている。同好会の二代目村長でノンフィクション作家 O 氏が、前書きか後書きを入れたら、多田さんの世界が深みと広がりが出るんではないの、と、アドバイスを下さった。で、書き出したら書いておきたいことが山ほど有って、両方書いている。ご感想は怖いので訊いていない。

本の表紙、裏表紙をアップします。

また、二月にグループ展を開催して下さった、企画会社さんと、会場だった西山美術館さんの特別企画で、第65回多田祐子展を開催することが決まったので、その事もご報告します。
今年の年末、12月7日〜18日の期間。月曜日、火曜日が休館なので実質10日間です。
豆冊子の中に歌があって、ご一緒に行って下さった作家の S さんが花壇に敷き詰められたピンククオーツを、なにやら欲しそうに、見ていたのでした。
西山美術館は、『ロダンの彫刻群と、ユトリロのあの白い作品』がコレクションされています。また、さまざまな、宝石になる元の石、大きな「世界の銘石」が展示されていて、ピンククオーツもその中の一つです。近くなりましたらご案内いたします。
12月寒くはなりますが、今、戦争とこのコロナのことが収まることを祈って、日々を一生懸命に活きたいものです。

  豆冊子の両表紙
  豆冊子の両表紙

花桃の開花

ここのところの陽気で花桃の花が咲き出した。
隣で咲いている椿はもう4ヶ月間咲いては散りしながら咲いている。
西に植えられたピンク色の椿も花を落としながら、まだ咲いていて、夫の寝ている側の窓からまだ沢山咲いていてくれるのが見える。白椿はこれからだ。未だ蕾が硬い。
3月11日に撮影した二葉葵が葉を出し始めている。

こんな暢気な事をしているが、昨夜の大地震には眠りかけれいたところを、揺り起こされ、なんて長い地震なの。
もうこれ以上大きな揺れに変わったら、もう観念するしかないわね、と、車椅子もない我々は、逃げる事はしないでおこう、と決めて揺れが収まるのを待った。
大なゐに収まりゆくをじっと待つより他に術なきを知る夜

など、思いながら、戦争をしている国が在ることの愚かさを、夫の傍らで思い、ラジオをつけ、津波が小さいことに
は少し安堵して、眠りについた。

花桃。咲いている枝が届かない
花桃。咲いている枝が届かない
二葉葵
二葉葵
二葉葵の上に咲くピンクの椿
二葉葵の上に咲くピンクの椿
11月から咲いている椿
11月から咲いている椿
これも長く咲き続ける
これも長く咲き続ける
赤い椿が向こうに
赤い椿が向こうに

雨乞いの水撒き

あまりにも雨が降らずに、庭の金柑の実、姫橘の実が、しょぼくれている。パリッとしないので、先日水撒きをした。
いわゆる雨乞い。叶って、昨夜は適当に降ってくれた。もう少し欲しいところだけど、多分今夜も降るだろう。
カラスが咥えて物置小屋の屋根で、巧みに突き、金柑の実を味わっている。
私も4 5個摘んで、今日の分のビタミンCを摂る。
暖かい一日を、昼寝して過ごそう。金城は気持ち良さそうに睡っている。金城の歯磨きはいつもより遅くなって
さっき終えたので、しばらく起こさずに済む。といっても、あと50分で、お昼になる。

庭のイヌフグリが色鮮やかに。雨のお陰。

オオイヌノフグリ
オオイヌノフグリ
姫橘の実
姫橘の実

3,11

3,11. 午後2:46分 からの黙祷を東日本大震災で犠牲になられた方々への1分間を終え、プーチンと、ウクライナの戦闘の一刻も早く治らん事を祈念した。21世紀の戦いはあまりにも酷い!
   
    なにゆえに争ふなりやこの星にあ(生ま)れて死にゆく皆ともがらを
      祐子 「stop the War」より

さて、上賀茂神社の二葉葵を育てている。里親である私はここ数年五月の葵祭りにあわせて、二葉葵を箱に詰めて送っている。フト今日庭に出てみると、あふひの芽は眠っていて、一瞬枯れてしまった!かと慌てる。よく見ると太い茎が地面から出ている。一安心。あと二月で葉を繁らせてくれないと、と邪魔な草を取り払う。半日陰以下の日陰。
先のブログから1ヶ月。何か特別なことはしていない。時間が勝手に進むうちに、ひな祭りも過ぎ、啓蟄が過ぎた。
2月28日の八せん始めの次の日この辺りは雨が降る事がなくて、今日その八せんが終わる。
雨が無いので、庭の金柑の実がパキッ、としない。
オミクロンの予防接種では2日後から疲労感が続き、食べ物を戻してしまった。
胃にしばらくの間違和感があって、2日間半ほど、元気になれずにいた。
夫は8日に市民病院でのペグの交換を。一年に一回の交換で、介護タクシーに乗る。
外はいいお天気なので、目を開けて、といっても瞑ってばかり。
翌日9日、自宅でオミクロン株の予防接種をしていただき、昨日も観察中だったが、幸いに支障なし。

新しいペグの交換処置の時の傷が痛むらしく、栄養を注入する時、眉間に皺をよせていたが、それも夜の一回で済んだ。最近は、泣くことが多く困る。良くなろうね!と励ましている。
昨日の夜、ちょっと笑った。嬉しかったけれど、すぐに泣き顔に。

3.11よ。といって、東日本大震災が11年を過ぎることの話をする。泣き顔になる。
記憶があり、良いような、可哀想な。で、治ろうね!と言って励ましている日々。

上手い具合にタラノキの先に落下のツバキ
上手い具合にタラノキの先に落下のツバキ
二葉葵  世界文化遺産
この辺りには鹿は生息しておらず、無事に育つ
二葉葵  世界文化遺産
分かりにくいが、太い茎が見える
分かりにくいが、太い茎が見える

西山美術館 特別企画展に

初日の9日。「向春の芸術祭」と銘打って開催された特別企画展を覗きに出掛けた。10日11日と雪もよいの予報。14日には施設に預かっていただいている夫が帰宅する。27日までの比較的長い企画展ではあるが、夫の世話が始まると出掛けられなくなる。
起きがけに、町田市にお住まいのノンフィクション作家、少し先輩にSMSで、西山美術館行きを“急ですが”、とメールする。
何かご予定があるならタクシーで行こうと決めて。運良く、1時間半後に電話があって、車で行こう!鶴川駅で、ということになったのは有り難い。この時点で私が出したはがきは未だ届いていなかったが、帰ったら来ていたよ。とのこと。以前と比べると郵便物が届くのが遅い。
とにかく紅水晶(ギネス世界記録認定)や大きな石の展示室を見せていただいて、3Fのユトリロ、4Fのユトリロを鑑賞。4Fのユトリロ館の一部屋を「向春の芸術祭」に当てていて、少ない数の作品がゆったりと展示されていた。
ユトリロは哀しい絵。この美術館がオープンした時に一度来ていて、ロダンの彫刻類、ユトリロの作品群を鑑賞させていただいた。その時よりもっと、ユトリロが哀しみでいっぱい。
我が作品については、美術館の壁で見るには少し迫力不足。小品でももっと迫力が無いといけませんなー!と反省。
疲れた頭のためにケーキ付きのコーヒーを。窓からは木立がもっぱら武蔵野。右手は都会の風景。
マイセンのカップでコーヒーを、シホンケーキ果物付きをいただき、作家斎藤充功氏のサイン入り分厚いご本を頂戴して、おまけに町田駅まで送っていただいて、帰宅した。電車がなにやら遅れてばかりの帰り道。
浅い春の一日を美術館で過ごした。斎藤先生有り難うございました。

陽だまりへこの身を移し人を待つこの如月を知らぬ街来て     祐子

ビートル と 椿(私の丘)
ビートル と 椿(私の丘)
ノンフィクション作家斎藤充功氏と喫茶室で
ノンフィクション作家斎藤充功氏と喫茶室で

  節分

夕刻、スーパーへ。恵方巻きを買いに。何やら何時にも無くこの夕刻に混雑。駐車出来るまでに少し時間がかかる。
沢山積み上げられて広告の品の恵方巻きがお客さんを待っている。夫金城は昨日から施設に預かっていただき、私一人分だ。いずれ、夫は
いまのところ、これは食べられない。ご飯を炊いてしまっていたので、マグロを買って海苔で巻き、自分で作ろうかとも思ったが、エエイ!
と買ったというわけ。
これから豆まきをしよう。「鬼も内」と。心を鬼にしないといけない日も在るでしょ!とは、諸々を教わる先生の言葉。
10年程前から「福は内、鬼も内」といいつつ豆まきをする。金沢の美味しい豆が昨日、Mr.F から送られて来ている。

スーパーを出てくると丁度というか、浄土というか旧正月3日の三日月が美しい。iPad を持たなかったので、携帯、ガラケイで撮影。
スーパーの駐車場は相変わらず、駐車待ちの車が並んでいた。急ぎスペースを空けた。三日月を。

旧正月3日の三日月
旧正月3日の三日月

瀬間千恵さんのこと

今朝の新聞紙上で大フアンの瀬間千恵さんのお名前に触れた。ご主人、泉 眞也(環境プロデューサー)氏の死去を知らせる記事でした。
結婚前のよく「銀巴里」に通っていた頃、彼女の歌を聞きにいった。聞きつつテーブルでわたしは自分の詩を綴っていたりした。
ペンネーム河名千絵の頃のこと。最終ペンネームになっているが、3冊自費出版した。
第2回展だったと思うが、直ぐ近い処の「はまのや美術サロン」まで瀬間千恵さんにお運びいただいたことだった。
彼女の歌の中で一番記憶に残っている歌詞は「あなたのくれた絹のスカーフ わたしは巻いたわ 寒いんじゃない」 というものだった。
長い間パリに居られた模様で、2014年の9月だったか10月だったか、新橋の「ルタン」で、歌われ、わたしは勇気を出して,楽屋に押しかけた。チョコレートを差し入れ、彼女が何か言う前に消えて、同時に出演中の安奈淳さん、そして東丘いずひさんにも同じくチョコレートを差し入れした。瀬間千恵さんはビックリなさっておられたが、アポイント無しだったこと、昔昔展覧会を覧ていただいたことのお礼が言えたので、目的は果たした、のでした。

そのときに 作った歌があるけど安奈淳さんのもので、
椅子に歌ふ 安奈淳髪明るく染め貴婦人の歌 しみじみ聴くよ  =をんなの時間さまざまⅩⅤ=より

一曲は椅子に座って歌われた。
東丘いずひさんは多田祐子、私の振り袖を着けてそれにあった歌だった。
今東丘いずひはこの世にいない。令和元年5月1日に一期を終えた。いつも元気いっぱいの女性だった。

瀬間千恵さん、お会い出来る日がきっとあるとおもいつつご主人様へのお悔やみを申し上げます。

国立新美術館の壁

今年の限り月も、明日で終了する。
庭の松の枝を剪定を兼ねて、あちこち徒長枝をバッサリ。朱い実にはならないまま、緑色の百両(それでも千両らしい)
を2本、そして水仙の花を3本づつ、松に添えて、今年最後のお墓参りに行ってきました。
夫金城には目を閉じていても聞いているはずなので、30分くらいで帰るからと、お墓に行くことを耳元に。
ご住職がいらして、豆冊子、短歌の手作り歌集を25冊、お好きな人にもらって頂いているので、お手渡し出来て帰ってきました。

さて、昨日届いた封書の中に11月26日〜12月5日に開催された展覧会、「第12回世界平和芸術家協会展」の
写真が入っていた。「西行・さまよう心」を出展。写真と共に、「特選最優秀賞」が授与された事が知らせてあった。
国立新美術館に飾った過去の作品も2作品であるが、何やら特別な賞をいただいている。
20号で大作ではないが、西行さん、佐藤義清さんのフアンとしては特選最優秀賞をいただいたと、吉野の山奥の
山荘に向かって、報告しましょう。

いただいた写真と共にできた歌を

やはらかにとらへてくれてカメラマン「西行」の前の私 まんぞく

西行  と私
やはらかにとらえてくれてカメラマン「西行」の前の私まんぞく
西行  と私

博多の展覧会に

「和楽」という展覧会に出品している博多の街に来ています。
夫金城が4歳から小学校卒業間近まで暮らした福岡県、博多。実際は筥崎神宮近辺だったというが、
今回は筥崎神宮近辺までは訪問できない。
もう来ること叶わずの夫に代わって、お礼廻りのような気持ちを携えてやってきました。

田川市で4ヶ月間の展覧会を開催させていただいた時に観てくださって、その後北鎌倉の古民家ミュージアムでの展覧会にもお越しくださった直方市の京子さんが、ご都合良くて、会場で再会。私の絵を一点お持ちの京子さん。
夕刻の博多の街を20分ほど歩いて、イルミネーション、夕月を写真におさめ、夕食を。
ビールで乾杯。私には3年2ヶ月ぶりのビール。美味しかったこと。
京子さんと懐に優しい回転寿司を見つけて、ビールに枝豆、唐揚げにかまの塩焼き、寿司3貫付きプラスで。
懐かしい話や最近の話題で、夜を楽しんだ。
バスで直方まで帰るという京子さんを見送ろうとすると、ホテルまでの道に迷うからと、きつく断られたの。
展覧会の会場を出てホテルに向かう時、反対に歩き始めていたから、心配おさせしちゃった。

途中の道すがら通りゃんせの神社があって、二人で初めての最後ですと、お詣りしたのです。

マイリトルフレンド 
マイリトルフレンド 
お茶目な京子さんと
お茶目な京子さんと
博多のイルミネーション
博多のイルミネーション
夕月
夕月