• 33.4cmx24.3cm/paper& oil on canvas/2009年/Sold out
  • 50x31cm / Collage / 2010
  • 145.5X112.1cm/
  • 22.7X15.8cm/ 2007
  • 22.7cmx15.8cm/oil on canvas/2009年

5月24日

 ニューヨークレッドスクェアーシンフォニーハウス アルフレッドと住まひしを想ふ
「揄 雨」(雨垂れ のイメージ)という題名を付けて手作りの豆本歌集を出したのは2006年の2月。52冊という限定で、主にコレクターにのみ渡った。
カタカナ文字の歌が難しかった。という知り合いがいて、どれ? と聞くと、上記の歌。夫金城が可哀想だとのこと。ハハン。してやったり。
実は3つともアパートの名前でアルフレッドはコロンバス大学の近所。実に思わせぶりな名前で、誤解を楽しもうという気持ちが働いた。誰も言ってくれなかったからつまらない想いで数ヶ月が過ぎたころ、ひとりだけ感想を聞かせてくださった。後の人たちは皆引っかからなかったとしても、まず成功。きっと遠慮しているのだ、ということにした。
ニューヨークに行って初めはハウストン・ストリートにあるレッドスクェアーに縁があって住んだ。次に行った時もレッド・スクェアーだった。3回目が
シンフォニーハウスで、4回目がアルフレッドという。いずれも高級アパートだった。5回目6回目はコロンバスサークルの近くのホテル。この間に夫と
共に5月のゴールデンウィークに行ったときはブルックリンに住んでいたMoMoちゃんの処に厄介になった。で、9/11 の大惨事があった年の10月はギャラリーの主が自分の処に泊まることを望んでくださり、その気持ちをいただいた。毎日バスとサブウェイを一緒に乗り継いで24W,57丁目の画廊に通った。3歳年下なのに年上の気の使いようだった。次からはニューヨークで出会って友達になったChapaさんのアパートに2回お世話になった。
私は都合10回もニューヨークに行ったのだった。8回位と思っていたけれど、住んだところを思い出してみると違っている。
モノプリントの制作をしたのはホテル住まいの時。そのコロンバスサークルの近くのホテルに滞在したのは確か3回だ。ニューヨーク滞在中にアルゼンチンに行ったが、帰った時に泊まったからそれで3回だったのか。帰ったとき部屋が違っていて元の部屋に替えてもらった記憶がある。それも違っていれば
ニューヨーク行は11回ということになる。経歴に間違いがあってはならないので、もう一度記憶をたどらなければならない。アルゼンチンには日本アルゼンチン修好百周年記念事業“日本の秀作美術展”が開催されていて私も出展していたからブエノスアイレスまで一人旅をした。1998年9月だった。ついでだが、風邪をひいて日本領事館に行って風邪薬をいただいた。吉野さんという男性に。ここでお礼を言いたい。
レッドスクェアーの他にも初めの滞在時は3ヶ月間で都ホテルからMr.Claudというひげのアーティストのロフトにも住んだ。ロフトの破れ窓からジャズダンスの激しいレッスン風景を夫と一緒に見たが、いかにもニューヨークの稽古風景で、ミュージシャンのバックダンサーは斯くも激しいものかと深く記憶に残っている。Mr.Claudはその後何処かに住まいを替えた。彼の飼い猫の世話を頼まれての短い滞在だったが、ここで何枚ものコラージュ作品が出来た。勿論油絵も描いた。彼の奥さんのビデオでサウンド・オブ・ミュージックを4回も見た。奥さんは30回見たと言っていた。大きな鏡を使っての作品を制作していたMr.Claudのアパート名は生憎覚えていない。ソーホーだった。1990年12月に出掛けて1991年2月に帰国した。

画商Mr.Jainが次はいつ来る?と言ってメールをくれるのでニューヨークのことを今日は書いた。ではまた。

4月29日 昭和の日

ご無沙汰しておりました。すっかり初夏の気配。若葉 青葉が日差しに美しい。ここ葉山の我が家は静か。先日(4月19日)に2010年2月の展覧会をほぼ決めて、また力をいただきました。北青山のコンセプト21ギャラリーさんです。ほぼ、 というのは今度略歴やら作品の写真を持参の上で決定です。新しい物ができたならいいと思っています。
 25日に友人のところに竹の子堀に行き今少し腰が痛くて、夫に日頃の運動不足をなじられています。竹の子ありがとうございました。

世界の平和

 先日東京都立産業貿易センターで開催された“地球を護る美術展”で マレーシア赤新月社(赤十字社)から「世界平和特別使節」の認定をいただいた。また、田川市から帰宅したあと一枚の表彰状が届いた。〜世界平和祈念芸術文化功労者〜 芸術文化促進政財界推薦大賞 と謳われて
いて、世界中の芸術界でご活躍され実績評価が高く 日本を代表とした芸術家として 平和を祈念し文化の促進をもたらし 政財界に好影響を与え 芸術を通じ国際貢献されました ウンヌンカンヌン  とありました。くださった方にはお目に掛かったことはないのですが、政財界との関わりがあるのですね。もう少しといいますか、もっと沢山といいますか、国際文化交流に関して後援していただきたいと切に思います。われわれ
作家がどれだけ協賛費用を出してきたかしれません。日本ブームがつづいているのは決して悪いことではありませんが、こうも世界中から芸術の分野での国際貢献を強いられると、家計に歪みが生じます。政界のかたがたは、ボランティアを知るべきです。財界のかたがたは儲けを還元していただきたい。何億という近代美術品をお買いになることと共に、さらに現代美術にも目を向けてください。本日はこれまで。

4月5日:清明も過ぎて

 福岡県田川市に行ってきました。市の美術館および現代美術ギャラリーto.ko.po.la さんに。お互いにご近所でしたが、市美術館の学芸員の二人の方にお目に掛かりました。to.ko.po.la さんのお手配で、時間どおりに初顔合わせ、打合せ、会場下見が半日で終わりました。to.ko.po.laギャラリーも決して狭くなく、市美術館のB室は28mの長さ、幅6.15m。しかもto.ko.po.laギャラリーさんのスタートが8月21日。そして
11月24日終了の長期間に。途中展示替えが聞き届けられて10月1日に入れ替えと決まったのです。今、展示する点数を数えているところです。
 田川市教育委員会教育部文化課の方の名刺には“月が出た出た 月が出た  サノヨイヨイ” と炭坑節の歌詞が印刷されていて、2本の煙突とボタヤマが高くそびえています。今はボタヤマを見ることは出来ませんでした。炭坑節のふるさと 田川市 と隣の赤村に行って、私の展覧会を
夢見てくださったNさんのお世話になってきました。菜の花畑と桃の花、そして咲き始めた桜のはなを車窓に眺めつつ1泊2日の旅でした。

3月19日お彼岸です

 ここでまた「貧乏虫」に取り憑かれっぱなしのわが身にぞろ、出展依頼やら掲載依頼が舞い込む。どうしたものか。断るもののご理解いただけない。“ウィ”っていうまでには根負け状態。しかし現在はどうにもならない。日本の芸術家は昔はいざ知らずスポンサーが付かずに道楽状態のまま世界に打って出た。道楽故に良いものも多い。
 この先世界中の芸術家はどう動くのだろう。フランス国も発表しづらくなっている。あのフランスが、だ。グラン・パレなど改装したから最早無料とはいえずに、芸術家を困らせている。ああ,あまり愚痴は言うまい。されど
“ほそぼそとわがゆく畦(くれ)の径つきぬと想ふ小夜更けこころ細さよ”  祐子詠む
本日はこれまで。

3月12日

 一昨日漸くにして確定申告を終えました。すぐにも絵を描き始めなければならないところを、ご褒美にと又江戸時代は家定の頃の草子を読み始めた。一日一冊。
そうしているうちに、ハート・アート・コミュニケーション審査委員会から先日の第11回エイズチャリティー美術展(国立新美術館)の賞状が送られてきた。「現代美術文化特別貢献賞」とあった。生意気を言わせていただくならば、もう賞はいらないところだ。沢山いただいたから。“晏子”曰わく。「名誉は盗まれることがない」。そうだけれど。
ブンカトクベツコウケン 有り難うございました。国立新美術館に観に行ってくださった方々にご報告致しましょう。
 それから第45回多田祐子展は福岡県田川市美術館でいたします。同時開催でそのご近所のギャラリーto.ko.po.la さんでもお世話になります。今年の全力を注ぎます。
宜しくお願いいたします。

酒井さん?

 鎌倉市に住む友人酒井夫妻が近く家を新築しようと土地を探し、買った。夫人が、同じ酒井さんという方から買ったの。とおっしゃる。酒井忠康さん?とわたし。そう、と酒井夫人。へえ、おもしろい。ご存知?。ご存知と言うほどではないけれど、平成4年の夏に、フランスのマルモッタン美術館長さんだったころのアルノー・ドートリブ氏を神奈川県立近代美術館にご案内して、酒井館長さんにお会いした。16年も前のことで、チケットを買わずに入館したことや、館長室に通して頂いたことを覚えているが、後は、何が
企画されていたか記憶にない。その2年前にはやはりフランスのポール・アンビュー(現テーラー財団会長)氏を鎌倉にご案内した。その時の館長さんはやはり酒井さんだったかと思うのだが忘れている。ポール・アンビュー氏は棟方志功記念館の企画の方が興味深かった模様で、熱心に見入っておられた。それから後、ジャン・マリ・ザッキさん(もちろんフランス人・レジョンドヌール勲章受章者)をご案内したときにもやはり酒井さんが館長さんだったと思うのだが、このときには生憎と館長さんはお留守だった記憶がある。ザッキさんを葉山の「山口逢春記念館」に案内した時には時間切れで残念ながら見ることが出来なかった。“折角世界のザッキが来たのに”、と私が言って、帰ったのだった。いずれも通訳の方が勿論ご一緒。ドートリブ氏の時やザッキ氏の時には欧州美術クラブの代表、馬郡俊文氏が付き添って来られた。建長寺や大仏を暑い中ご案内した。昼は竹薮が多い蕎麦どころで戴き、500羅漢さんを楽しんで頂いた。
ポール・アンビュー氏のいらした季節は丁度葉山の神明社の祭礼の日で、お神輿を担いで日本の祭りを体験して頂いた。この時の通訳は友人の画家・小園ケイ子さん。丁度夫金城の誕生日で、ポール氏は当時はとても高かったドン・ペリを注文してくださって、ホテル音羽の森でのディナーが盛り上がった。“貴女はいつも今日が結婚記念日”とか言って、とポール氏が冗談を言ったから。その前年にポールさんのところ、クレルモンで、丁度6月6日の結婚記念日に絵を一枚仕上げ、夫にプレゼントしようとした“6月の庭園”があり、その事をしっかり覚えておられた。今年は年賀状もいただいた。それは私の宝の一つになった。
 酒井さんの土地はやがて同じ酒井さん、お医師夫妻によってデザインされた家が建つ。楽しみにしている。先日遊びに来た酒井氏の3歳の息子は言った。大きい絵が欲しいね。と。我が家の壁中に飾ってある絵をあれこれ見て、うちのは小さいねぇ。と母親に言っていたことを私は聞き逃さなかったの。フフこれも楽しみ。宜しくお願いします。

地球を護る美術展東京都立産業貿易センターで開催

銀座画廊美術館は変更になりました

桃の節句です。

 江戸時代の浪人ものや岡っ引き、はたまた裏同心ものを読み続けて、やがて弥生。確定申告の事も気になりながら、桃の節句や啓蟄が近づき日差しが強まるなか、恒例の桃色
五目ご飯を5回作った。16軒分宅配をお願いして、如月もお仕舞いなのでもう終わりです。桃色五目はブルーベリーで作ります。ブルーベリージャムがあとわずか。私の春の生理現象に夫は付き合わされて5回も食べ、いや、今夜は食べた内に入らないから4回になるけれど、いずれ明日のお昼には食べさせられる訳で5回になるはず。
 3月3日にお届けでは世の主婦の方々に申し訳ないから、2月中のプレゼント。
 いまここで、嬉しい電話。コレクターの一人、同級生から “絵を買うよ”。って。何という吉報。次のカタログを作るまではいかないが、兎に角今ある支払いのあれこれが出来そう。国際交流の出品料や絵画雑誌掲載料、額縁、画材、年鑑社のカラー掲載料で消えてしまうが、滞っていたから、何とも嬉しい。今日2件あった出品の連絡は断った。今の私には出来そうにもない。最も大きいメセナが消えたのだから。とにもかくにもありがとう、同級生の奥様に感謝。お買い上げの絵は3月下旬に 東京都立産業貿易センターで開催の「地球を護る美術展」 に出品しているので、お届けは4月になります。さて、カタログを作りたいと思っていますが、その訳は8月26日からの福岡県田川市美術館での展覧会と、その近所のギャラリーto.ko.po.la さんでする展覧会のためなのです。田川市美術館はとても広い会場で、ほとんど手持ちの作品を全部運びます。これから倉庫の中の大きな作品を点検します。to.ko.po.laさんはもしかすると3ヶ月間の長きに渡って開催してくださる可能性があるので、この件も嬉しい限です。たとえ1ヶ月としても有り難いです。お話を持ち上げてくださった女性は14年前にニューヨークで出会った絵画教室の先生。ご自分の指導する子供達の絵画とともに私の絵があったらいいなー
と、思われたそうで、それが実現します。遠くからそんなことを思っていてくださる方がおられたなんて、びっくり! 今彼女はそのことで走り回ってくださっているのです。有り難う。
 長い間ブログをご無沙汰しておりましたが、江戸時代の読み物を読みふけって、一方では田川市のことに神経がいっておりました。また、23日の皇太子誕生日の土曜日に、甥の一人が赤坂の氷川神社で結婚式を挙げました。田舎から弟が来まして、我が家にも一泊。しみじみと厳かないい結婚式だったことです。午後から大風が東京に吹き荒れたあの日でした。翌日も天候は大荒れで、弟は仙台まで帰るのに7時間あまり掛かったようでした。仙台に住む孫の“おくいそめ”に予定より6時間も遅れての一日でした。お疲れさま。そんなわけで、長い冬が終わります。シリアに行っていた我らがMr.FUJIWARAも無事に帰ってきました。
 あっ、ドイツのカールスルーヘのアートショウが突然私の予定から消えたのは、ニューヨークの画商さんが抽選ではずれたということを2月10日になって言っていたからです。ちょつとがっかりでもあり、すっきりでもありました。全ては貧乏の所為です。ではまた。

1月28日月曜日

先週はグループ展が銀座と国立新美術館の両方であり、電車に乗ってばかりいた。国立新美術館はハートアートコミュニケーションの主催でわたしは「カマル」アラビア語で「月」を出品している。13室で、入って直ぐの処に飾ってあった。3階の奥が会場。2月4日までの期間。銀座の方は終了。「嬉野の月」を出品していた。
28日月曜日の昼前にスーパーに行くと、知り合い3人に出会う。その中の一人に、車汚いねー、洗いなよ。とご注告をいただく。ハイと言いつつ洗わずに帰宅。スーパーに粉セッケンを買いにいった。洗濯物がたまっていたので洗濯を。後は電車の往復中に読み続けている江戸時代の岡っ引きの文庫本に神経が行く。暮れから29冊読み今30冊目。
キャンバスが届いているので地塗りを始めなければーと、気になりつつ読みふけっている。いつも冬は冬眠だったわよ! と自分と戦っては1790年頃の徳川家重、家斉時代
を楽しんでいる。
スーパーで出会う人は午前と午後又夕刻では違うということも分かった。3人のうちの2たりは私のHPに立ち寄ってくださる方がた。ノロウイルスのことが話題になり、ニュウヨークのことが話しに出る。2月9日にニューヨークの画商Mr,jainと会う。ドイツのart showについてkarlsruheに行く?行かない?行かれない、といった会話が予想されるが
そんな話しをする。昨年5月にお世話になった小坂サロンの彼女は真新しいBMWに乗って笑顔で帰っていった。
さて、またまた江戸草子にもどりますか。

コンテンツの配信