• 72.7X60.6cm/ 2007
  • 45.5x37.9cm / oil on canvas / 2011
  • 22.0 × 17.0cm / oil pastels on paper / 2013(個人収)
  • 145.5X112.1cm
  • 22.7cmx15.8cm/paper& oil on canvas/2009年

第63回 嵐山もみじ祭りに参加

 11月8日は63回目を数える京都嵐山もみじ祭りの日。夫金城の運転で葉山を出発したのが6日の午後11時過ぎ。土山サービスエリアで仮眠。私は一度も運転を交替せずに眠ってばかり。朝早く、貴船神社に参り、折良く7日は御火焚祭とあって護摩に願いをたくす。家族のあれこれも含め、今年は願成寺での護摩お焚き上げ祭に参加できなかったこともあって、幸いの一日。聖域での2時間。火渡りは残念ながら12時からとのことで、参道で焼きもちを買い次の予定先、舌夫妻のギャラリーへ。この焼きもちやさんで、舌さんのところにお土産、と言うと、このお店が「舌」のご本家さん。不足の40円をおまけして下さる。
 時代小説で読んだ徳川家重の見聞役三田村元八郎と黄泉の醜女の闘いをこの聖域に想像しながらお別れ。
 舌ヒデ子さんのかっぱさんをピックアップしようという予定が、梱包されておらずに、実際は9日に再訪問してピックアップ。北鎌倉の古陶美術館で出会ったかっぱさんファミリーが今、家の玄関に移ってきた。
8日。朝から温かい快晴の日。小川貴子さんの朝ご飯をいただき、嵐山に。もみじ祭りは三回目の参加。夫金城は真新しい雅楽装束。わたくしは、千早。巫女さん。紙縒で袖をくくったもの。お伊勢さまからの拝領物とのこと。畏れ多い。
 午後は角倉了以の偉業に力を貸してこの川で亡くなった多くの人々や、了以の母親に散華。河川開発工事をおこなった角倉了以の第17代さん、18代さんと共に船遊び。
保津川の両岸はカメラの放列。小川さんの平安管弦船は雅楽の音に迦陵頻伽の舞。上流で一度、下流で一度船足を止め迦陵頻伽のサービスの舞。お辞儀をする子供たちには拍手とカメラのフラッシュの観応。

金城は雅楽装束 私は千早

 9日。神戸から合流している野崎波津子さんと、小川さんのご案内をいただいて再び嵐山に。大悲閣千光寺にお参り。2013年が角倉了以没後400年祭に当たり、わたしは100号の絵を2点描かせていただいて奉納の予定。100号2点のキャンバスは既に準備して地塗りも6回済んでいるが、いよいよお参りをすませ、描き始めたい。この栄誉をありがとうと申し上げ、お力をお貸しくださるようにと、祈念。険しく細い道。急坂ばかりでくねくね道。図柄は既に夢枕で教えてもらっている。
 8日船でご一緒だった千光寺の和尚さんは免許書き換えで、街にお出掛けとか。十分に場所やら未来のお堂完成図を見て、了以さんに朱印状を与えた徳川家康の大権現とあるお位牌にも手を合わせ、なにより聖徳太子にも縁あるこの千光寺を後にした。
 最後は一ノ宮の上賀茂神社参り。ここで引いたおみくじ“うるはしき神のみさとしあるからは 萬の願ひ叶ふぞと知れ”第一番の大吉であった。一年間のご報告。
願成寺さんへは今回はお参りできず終い。11月3日のご開帳の日には阿保さまがおみえだったと小川貴子さんからお聞きした。阿保親王堂の多田祐子の50号“明日会いましょここで”をご覧くださったそうな。有り難いことでした。

保津川

シャンソン・ルタンの会

 昨日は高等学校の同窓会が上野であって、愉しい一時を過ごした後、新橋のヤクルトホールで2009Le Temps Festival に夫金城と。なんと最も絶妙な座席を与えてくださったのは東丘いずひさん。夫と晴れがましい気分を満喫しました。東丘いずひさんありがとうございました。彼女は大振り袖姿でのシャンソン。草履にもキラキラのラメ入り鼻緒。蝶々夫人のシャンソン版。どれほどの所作の稽古をなさったか知らないが、もともと女優業の彼女のこと、様になっておりましたよ。
 このフェステバルには、私の知り合いとしては東丘いずひさん、安奈淳さんが居り、三人目として瀬間千恵さんがおりました。東丘いずひさんは絵描きでもあってご一緒にタイランドにも国際文化交流使節として行き、なによりかっぱ村民です。いつも元気いっぱいの女性。仲好しこよしのなか。安奈淳さんとはグループ展・ダブニール展でいつも一緒に出品していて、グループの世話役田久保恵美子さんの処であったBBQの会では夫金城も安奈さんとツウショトの写真を持っている仲。訪ねた楽屋では笑顔でお話しいただいた。
 さて、瀬間千恵さん。およそ35年前に遡りますが、瀬間さんが当時出演なさっていた“銀巴里”に私は彼女の歌声を聴くためによく通っていたのです。河名千絵というペンネームで詩を作っていた時代でした。銀巴里で歌声を聴きながら思索にふけっては詩作をしていたのでした。で、瀬間千恵さんの歌うシャンソンの中で一番好きだったのは“絹のスカーフ”。「あなたのくれた絹のスカーフ わたしは巻いた 寒いんじゃない あなたのぬくもり・・・」という歌詞と声がとてもマッチしていたのです。昨年も出演なさっておられたようでしたが、生憎と甥の結婚式とがかちあってしまい、今年ようやく、パリーから帰られた瀬間千恵さんの歌うシャンソンを聴かせていただきました。そして突然でしたが楽屋にも押しかけていき、35年前の事を勝手にお話し致しました。貴女がわたしの2回目の展覧会、はまのや美術サロンに来て下さったことを。
 第2ステージでの貴女の演出は涙が出そうでした。長ーいフランスでの暮らしを想像しました。2年程昔、新聞の記事のなかに瀬間千恵のことを見ました。日本に帰って来られると待っていたのです。その瀬間千恵さんとほんの50秒、楽屋で会いました。本当は名刺や私のプロフィールを準備していたのです。名刺は河名千絵のものから多田祐子、金城祐子のものまで一枚にまとめた数少ないもの。でもそんなものは必要ありませんでした。先ず35年の空間を埋めることでしたから。
 彼女はシャンソン界の大御所になられました。わたしはエルミタージュ美術館が収蔵してくれる絵描きになりました。35年。嬉しい再会でしたが、瀬間さんはまだ思い出してはいないかもしれません。いいのです。わたしは知っているのですから。
 東丘いずひさん、有り難うございました。

鎌倉古陶美術館での展覧会が終了しました。

 9月15日に始まった第50回多田祐子・鎌倉古陶美術館展が終了しました。遠く九州や四国、大阪、神戸、静岡、北海道、秋田、宮城、群馬、茨城、福島等からのご来館をいただきました。雨の日も、嵐の日も開館しました。台風が近づいて居りました時には前夜から東京に来ていたという友人も4人あって感激の瞬間でした。
今回は東京の銀座や青山での展覧会とは違って鎌倉という「古都」の魅力が加わった趣のある古陶器とのコラボレーションでした。毎日が愉しいことのみ。本当に有り難うございました。葉山や逗子、鎌倉の多くの方々に多田祐子の世界を体感していただきました。有り難いことでした。
搬出作業には、飾り付けの際に駆けつけてくださった元フタバ画廊のスタッフに加えて、故郷の同級生富也さんが加勢してくれました。渡り鳥の研究者呉地氏もたまたま出張先の名古屋からの帰り道というので観賞がてら助っ人に変身。お陰さまで2時間の作業でした。感謝です。
さて、第51回展はニューヨークのA.Jain MARUNOUCHI ギャラリーです。12月14日がオープニングパーティ。5時からのパーティにお越し下さい。カーネギィホールのあるストリートです。ギャラリィビルディングの6階にあります。お待ち致しております。

ニューヨークのDMがとどきました

タイトル My Birthday (青い雪)

次の展覧会のご案内状DMが届きました。古陶美術館にも置いてご来館の方々にご案内したいと思います。
残暑の中で始まった第50回展は一月が過ぎスッカリ秋。古陶美術館は庭にある3本の金木犀がはなつ香りに包まれています。昨日入口付近の展示室に油絵の小品6点を新たに飾りました。舌ひでこさんの”かっぱさん展”が終了しましたので。パステル画を展示してある小部屋にも新作6点と油彩画3展を飾りました。残り5日間を愉しもうとおもいます

マンハッタンに行きます

常設画廊の Mr. JAIN の画廊でソロショウ・個展をすることに決めました。急なのです。ニューヨークでの個展をしばらく見合わせていましたが、Jainさんの呼びかけに応えて、預けている6〜7点に9点程送って、クリスマスのマンハッタンに行くことにしました。
 短い期間の個展です。それに12月19日20日と3人の多田祐子の会をすることに決めておりますから、滞在も短期間。
只今鎌倉古陶美術館での展覧会真っ最中。これまでにない個展です。建物といい、器といい、多田祐子の絵画が共鳴しあっている様子をご覧頂きたいものです。ここ3日間ほどは雨模様で観客の足がとほのきました。昨日からは京都の陶芸家夫妻の展覧会が片一方で始まりました。舌夫妻の作品の多くは “かっぱ”です。なんということでしょう。
これはもう偶然ではなく、必然のことでしょう。かっぱ村は今年34年目。そのかっぱ村公報を編集している多田祐子にとって話題に事欠きません。
また楽しみの多い日々がやってきました。
皆さま是非北鎌倉、鎌倉古陶美術館にお運び下さいませ。お待ち致しております。

鎌倉古陶美術館

3人の「多田祐子」集まる

 9月18日午後3時少し前。鎌倉古陶美術館は多田祐子の佃煮。建築家の多田祐子さん。元アナウンサーでブリリアント・ユウの多田祐子さん。で、私。(若い順から)
建築家の祐子さんは2度目のご来場といいますか無理にそして急の呼び出しに応じられて。ブリリアント・ユウの多田祐子さんは遙々と香川県高松市からの御目見得。
香川県出身の故中河与一が我々(金城のこと)のお仲人ということや、まんのう町の西念寺さんに絵を奉納予定のことなどがあって、驚きの連続。さらには単に名前が一緒というだけで、笑いがとまらない3人の多田祐子でした。

右からブリリアント・ユウの多田祐子さん。建築家の多田祐子さんと私。ダイアナの前で
"団体の入場者と「ご面なさい」(右上のインスタレーション)
門に進出の暖簾

3人の多田祐子が近所のお団子屋さんに集っている時たまたま団体予約の鑑賞者があって、私の作品群を平安時代やら鎌倉時代の貴重な古陶器と共に鑑賞して頂いた。
朝は茨城県の那珂市の中学生5人が班を組んで古陶美術館を見学コースに選んだらしくラッキーにも現代美術の私の作品も観ていただいた。中学生たちは鎧甲と一緒に写真に収まっていた。私の絵の前でも撮っていただいて、次の見学コースに移って行かれた。

ご主人が栗原市若柳とおしゃるかたもご来場。高校も一緒で先輩になるのできっと早々にお越し下さるはず。そんな出会いの毎日に感謝。  合掌

古陶器とのコラボレーション始まる。

鎌倉古陶美術館(北鎌倉駅下車40m)での多田祐子展が始まって3日が過ぎた。やれやれの思いも強いが、多田祐子の作品が平安時代、鎌倉時代、室町時代、南北朝時代、安土桃山時代の陶器と共に展示ケースの中や広い空間に収まったことに今、かたじけなさに涙こぼるる、思いなのです。言葉よりも展示の模様を写真で紹介します。
自分で申しますが、マッチしております様をどうか大勢の方に観ていただきたくおもいます。10月18日までです。
なお、展示作業に駆けつけて下さった故郷の同級生や、元フタバ画廊のスタッフの女性陣とその友人及び従姉妹のかたがた、2日間に渡る作業を加勢くださいまして有り難うございました。厚くお礼を申し上げます。

それともう一件。明日18日午後2時過ぎに3人の「多田祐子」が集まります。建築家の祐子さんは初日にご主人とお運び下さったのですが、今日17日に入った電話で香川県高松市のブリリアント・ユウの祐子さんが明日遠路をお越し下さるとのことで、建築家の祐子さんにも再度お出ましをお願いしました。参ります。とのお返事。私の喜びは“ヒヤッホゥー・ホッ・ホッ・ホッー ではとても表現しきれません。では明日がとても楽しみな絵描きの多田祐子からでした。

展覧会の様子を写真にてご覧下さい。

入口の手作り暖簾と贈られた花々の花回廊
入口付近から奥をみる
私の安土と古陶器
振り向けばとのコラボレーション古陶器
ローマの雨と渥美焼

Na・Silpaについて

 英国にSir.がある。それが泰国タイランドでのNa. だそうである。Silpaは芸術のことで、芸術の顔 となるとのこと。誠に以て面映ゆいことではある。2006年11月17日にシリキット王妃記念センターにおいてプミポン国王在位60周年記念展があった際に、プレゼンテーター王位継承四位のチャトリチャラーム・ユコン殿下より徽章をいただいた。愛称はチャトリ殿下とのこと。その殿下が私に“ハロー”といわれて、私は考えなしにハローと応じて仕舞ってすぐにいけない! と困ってしまったが、お咎めもなく、随行の側近の方がたが口々に私のこれまでのタイ王国に重ねて訪問していることなどを、ご説明の模様。微笑まれつつ私との記念撮影に応じて下さった。2005年にあったシリキット王妃記念美術館での「桜 月」出品の際には時間切れにもかかわらずに、記念写真を静かに撮っていただいた。映画制作や監督をなさっておられる気さくな殿下で助かったのです。2005年8月4日のこの午後にマハ・バジラロンコーン皇太子殿下との謁見が組まれていて主催者側が時間との闘いを何気なく疲労感とともににじませていたのです。わたしが最後の記念撮影者だったのかもしれません。そのチャトリ殿下との2006年11月17日の写真を掲載します。徽章を頂戴している模様などを。

Na・Silpaの徽章
チャトリチャラーム・ユコン殿下より徽章を戴く
2006年11月17日タイ王国国王陛下在位60周年記念収蔵作品の前にてチャトリ殿下との記念撮影

手討ちかも おうむ返しにかえせしハロー
王位継承四位の殿下

第50回 多田祐子展  鎌倉古陶美術館・北鎌倉駅下車

 9月15日(火曜日)からおよそ一月間の展覧会が迫った。
新美術新聞:(株)美術年鑑社が掲載してくださった情報をいち早くお知らせします。
 多くの方にご高覧戴けますように祈ります。

今年は訃報に接することが多い
逝きしひと多き晩夏の花火なり 
海辺の山の端天に夕顔
金城の誕生日とて佐島に夕餉のお刺身を
おご っ たのです逗子の花火が見られるとは
予想外2倍楽しみました
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