多田祐子 の「桜 月」が出来るまで

多田祐子 の「桜 月」が出来るまで

 今年もあちらこちらの桜並樹が見事な昨日今日。今1997年(平成9)にスイスを旅したときのことをお話ししたい。’97.6月に、国連欧州本部の(スイスのジュネーブ)、その「平和の間」で“国際平和美術展”が開催されたことに合わせて、スイスの旅を敢行。美術展は世界文芸社さんの主催でしたが、ツアーとは別行動で、スイスを一周。チューリッヒはズーリッヒと発音するとズーリッヒ行の電車を空港駅で当地の小父さんに尋ねて先ず解る。成田を出るときに既に2時間は遅れていたので時間は夜の10時。夏なので幸いにもまだ明るい。飛行機の遅れはなにやら故障とのこと。部品を運ぶことに手間取っているというアナウンスが成田の待合室に流れていた。乗り継ぎのドイツのフランクフルト(だったと思う)では遅れて到着の身に、飛行機の到着待ちの乗客の視線が抗議を帯びていて、身を小さくした。流石に2時間の遅れは取り戻せなかった模様で優に1時間は遅れていた。さて、ズーリッヒのホテルは直ぐには見つからずに知らない街をウロウロ。駅に戻って地図を見直して出直し。初めの見当とは90度も違っている。午前0時近いチェックイン。朝、家庭的なモーニングにホッ と。列車に乗ってジュネーブに。インド人のご夫婦、多分外交官夫妻の席と隣合わせに。彼らの荷物の多さに呆れた。
 平和の間での美術展を見て、セレモニーにも出席してさあーってスイス巡りの始まりはレマン湖を船でモントルーまでの旅。湖面は穏やか。フランス領のエビアンに寄港したりして、途中の風景としてオリーブやぶどう畑の他に結婚式にあったり退屈しそうになるほどの長時間を乗船。モントルーからはインターラーケンまで電車。天井がガラス窓の明るい明るい電車。先を急ごう。登山電車に乗ってユングフラウまで。ブリークを通ってイタリアのドモドッソーラに一寸。ここで夫の金城に電話を。かけ終わってホームに戻ったところで忘れ物。電話のところに。ホームにいた小父さんに“荷物をお願い”と英語で。走っていって忘れた日程表やらの書類をピックアップ。また走って走って戻った私に件の小父さん、“電車は遅れているよ”と、イタリア語。ああ息が切れている私はようやく“ありがとう”。ドモドッソーラばんざーい。ここで私の靴が壊れた。アメリカの地方都市で買ったイタリアものの大好きなスニーカー。かかとの縫い目が破れた。走ったからね。ここから乗り合わせたアメリカ人の親娘が私の左足のスニーカーをしきりに気にしている模様なので「とうとう壊れました、フィラデルフィアで買ったんです」というと、私たちフィラデルフィアから来たんです、と言う。すっかり親しくなった。イタリアからスイスに再び電車が入るときに駅員に言ってパスポートに入国印を押してもらっていたら、娘のほうが国境?と聞くのでそうよと教えてあげる、と、真似をした。駅員の若者は再び彼女のパスポートを手に駅舎に走って押印して戻ってくる。その間運転手は何事もなさそうにじぃーと待っている。他の乗客もしかり。ドモドッソーラの小父さんも。
 さて、ドモドッソーラから夫の他にTELしたのは、ズーリッヒのホテル。とても遅くなるということを。部屋が無くなっては困るので。ロカルノからアメリカの親娘は南下。ルガノに行くという。小父さんも降りてアルベデルチェ。さようなら。私は一路ズーリッヒへ。途中で乗り換えがあって又走る。ホームからホームへ。乗り換え1分程。セーフ。さて、ようようズーリッヒの駅に到着。夜12時近い。バーンホーフ橋を渡ってと、と、ホテルがない。うわーっ。まただ。どうしよう!と、どうしたのと若者が近寄ってくる。ホテルがないの。パニックにならないで。道が一本違っているよ。と。バーンホーフ橋と思ったところは違ったらしい。ああやれやれ、ズーリッヒの街並みは判り難い。ありがとう。というと、“ところで少し散歩をしない、今宵は月もきれいだし”と。勿論フランス語で。わたしをお誘いあそばす。明日の飛行機の時間がとても早いの、残念ながら。といってチャオ! 最早0時をまわった。途中で電話を入れておいてあるから大丈夫と、ホテルに急ぎつつ空を見上げる。月?きれい? 月どこ? 月のない夜。“今宵は月もきれいだし” 月 月? 少し散歩しない ? う? 今のはいわゆるナンパ?なんぱだ。フランス語で?イケメンよりもイケメン。金髪の背高のっぽさん。わたし、おばさん。今よりはずーっと若かったけれど。明日本当に、エアーが早いのッ。という訳で生憎にもホテルにチェックイン。ホテルは前よりもグッと良いお部屋でバスタブがあって広かった。ゴールドカードの恩恵。湯舟につかりつつ「今宵は月もきれいだし」というフランス語を繰り返して、日本にこの気分を持ち帰って出来た絵が「 桜 月 」。たくさんの国から賞を戴いた。さらに4冊の文献に掲載した。スイスのズーリッヒ赤十字からもなにか認定書をいただいたがこの件は経歴には・・・今見るとないので、あらためて見なおします。
 長くなりました。-- チューリッヒ朧月夜のまよい径 桜ときめく名残のときと-- 祐子詠