福岡県田川市での展覧会は終了しました

福岡県田川市での展覧会は終了しました

 8月21日から始まった現代美術ギャラリーtokopolaでの展覧会が11月24日終了した。斯くも長く開催していただいたことははじめてでした。21日からお礼かたがた福岡県に。駅レンタカーを借りてまず322号線を香春まで。神宮院で嶋井信恒氏と落ち合い、ご案内をいただいた先が河内王の墳墓。河内王は持統天皇3年に太宰の帥として下向、持統天皇8年(694)にこの地に葬られた。と、嶋井氏からいただいた郷土史誌に。さて、懐良親王が小富士と詠んだ小富士山が直ぐ目の前あって、なるほど富士山。「駿河なる富士の高根は名のみ聞く香春の里に富士を見んとは」と詠われたという。万葉の里として文学散歩で有名な鏡山を「磨かれて出づる鏡の山の辺の清き流にうつる月かも」と詠まれた。応安元年の秋のことであったそうな。嶋井氏にご案内をしていただきながらギャラリーの閉館時間も気になり、小1時間の歴史探訪を終え田川市へ。  嶋井氏はあらためてギャラリーに訪ねてくださった。その時には星野村に行ったことの話しが出来た。22日の土曜日は快晴。レンタカーのナビは古いらしくてとんでもなくデタラメ。田川市を出るのに20分もかかってしまう。同じ道を行ったり来たり。とうとう持参の地図を信号で止まる度に頭にたたき入れては2時間半のみちのりをひた走った。二つの峠を越える。ヘアピンカーブの連続。「遠ければ急ぎ行くなりつづら折りカーブ重ねて星野の村に」と車の中で口走ったりして。美しい見事な棚田が見える。あっもう星野村だ! と思って走ると突然右手に石碑があり「懐良親王終焉の地」とある。いきなり右折。道が広いことと、車が通らないこともあって停車。交通違反?を思わないでもないが--。  宮内庁の菊紋がまぶしい遙拝所から山に向かってご挨拶。菩提寺の大円寺は左手直ぐ。境内にはいる前の駐車場に歌碑があり“山深かくわれからむすぶ草の庵に人もすむとや月のもるらん」。境内に“日にそへて遁れむとのみ思ふ身にいとど浮き世のことしげきかな”。この歌は知っていて悲しみも深くなる。奥のほうに菊池から政所として嫁いでこられた姫の五輪塔が。お参りをして写真に納める。人気のないことをいいことに私はその昔、菊池武光と共に九州に王国を作ろうとした親王のことを忍びつつ、九州の地で展覧会をしていますことを告げ、見ていただけたでしょうかと問いかけ、まだでしたら明日までです、と、ひとりごち。丁度良い具合でも、資料館には入ることが出来なかった。やがて、2人の子連れの夫婦が入ってきたので写真を一枚撮っていただいた。なんでも相談事が在ってきたらしい。畑の方からご老人がやって来、ご住職とは思いつつも帰路につく。  棚田が見事な休憩所にはやはりだぁれもいないので、車を止め、持参のお茶と小さいおにぎりをふたつ広げて懐良親王さんにお供え。約10分。車が3台、オートバイが2台止まり、独り占めならず再び峠を上り下りのマイ・マーチ。途中杷木の柿を買い、蕎麦を食べ、陶の里で小皿3枚を購い、田川に帰ってギャラリーへ。 (後はあした。にします。さっき一度全てを消してしまい再びで疲れました。さっきの方がズーと良い文章だったのですが思い出せません。おやすみなさい。)

香春の小富士
懐良親王の遙拝所
トコポラオーナーの神崎さんとなかずみさん(右)