blog

5月5日 近づく

もう間も無く5月5日。端午の節句。我が家に鯉幟が無いので、せめて兜を準備した。
夫金城が施設のお世話になって5日。5月6日には帰宅する。腕と肩の痛みはまだ取れていない。
亡母の祥月命日、4月28日、思い立って、その叔父夫婦を訪ねた。
その近くには亡母の叔父、もはや故人だが、学生時代によく泊まりに行った家が在る。
さらには、その時に知り合ってお付き合いを続けている女性が住んでいて、数えてみると最早57年の月日が流れている。
三軒を訪おう! 急に決めたので、大したお土産は準備出来ないが、早起きをした。
学生時代は中央線沿いに住んでいて、東から出掛けた。今回は南から横浜線に乗り継いでおよそ2時間の旅。
横浜駅のホームで外国のご夫婦に新横浜への電車を聞かれたが、私と同じ電車でいいのに、初め東神奈川駅で
乗り換えね!という思い込みがあって、いわゆる、パニック! 状態。新横浜が、理解出来なかった。
新幹線に乗るのね! と後で思ったが、その時はしどろもどろ。
横道にそれたが、横浜線は町田駅で小田急線と乗り換えが出来ると、改めて知り、昨年、西山美術館に通ったことを
思い、帰りは小田急線にしようと決めた。
さて、片倉駅から近いので、はじめに2軒がほぼ隣り合っている友人の家を訪ねた。私の絵をお持ちの人。
若い頃の絵を。予定の時刻にそれほど遅れずに到着。荷物を預けて、今は亡き叔父さんの家へ。
誰も居ない。休日では無いので、お仕事中。後で友人にお土産を渡して頂くことにして、お昼をご馳走になる。
窓からは昔とは違う景色が広がっていて、最後に来た時には、雪がどんどん降り積もった時だった話しを。
帰り道で車がスピンしたっけ。私が運転していた時で、前後に車が走っていなくて幸いだったことを思い出す。

亡母の弟の叔父さん夫婦はよく野菜を送って下さって、最近はそれも無く、どうして居られるか、と訪問。
マァいわば、高齢者。それも後期のつく。もはや畑は借りておらず、家のめぐりに、色々な野菜やブドウ、キュウイ
の棚を作って、暮らしておられた。病気のデパート!でも、仲良くお暮らし。
最初で最後の訪問かもと言いつつ、糖尿病も患っておられるというのに、お菓子をあれこれいただいて、遠く千葉の館山に住む叔父さんの姉、叔母に電話。携帯も家電話にも出ない。
夜になって葉山の家からかけると、病院に行っていたとのこと。幸いお元気。

帰り道、町田駅で小田急線に乗り換え。町田、大混雑。新宿よりも大勢の人間。そして歩くこと歩く事。
ホームがあんなに遠いとは!しかも人身事故があったらしく、電車が来ない。10分遅れとのアナウンス。
そのホームで、上背の高いハンサムさんが隣に並んでいる。黒いランニングシャツだけの出立ち。
何やら大谷翔平さんソックリ!で、思わずみてしまったのです。
なかなか電車が来ません。背高の大谷似の青年。皆には見えず、隣に立つ私には見えるのです。
こんな所にいるはずはないのである。2度目みた時に、目が合いました。ニッコリと。大谷似のことを本人は知っている。大谷似の青年は、すぐ次の駅で混雑する車内から消えていきました。ご兄弟??
すぐに歌ができましたよ。
大谷似 黒ランニングホーム立つ私の隣り眼があひ二度も

ということで。
一昨日は夫のいない所在ないままに、折り紙の兜を作りました。大谷翔平に被せたい、ハハハ!
夫のマスコットたちに被せました。シジュウカラガンの研究でラムサール賞に輝いた友人が、剥製のシジュウカラガン
にお手製の兜を被せたとのラインが来て、私も真似をしたものです。
4月下旬はかくしてお仕舞いに。
では金城の仲間たちの様子を掲示しましょう。  日記歌が100首を超えている。5月下旬には出そう❗️

八咫烏
八咫烏
右から二番目は東福寺の守り猫
右から二番目は東福寺の守り猫
玄関に座るかっぱ君にも
玄関に座るかっぱ君にも
どっちの兜がいいかしら
こんな平和な日常がウクライナにも早く来ますように祈念して。
どっちの兜がいいかしら
ついでにクロアゲハが諸葛菜の蜜を集めている所
諸葛孔明が好きだったという諸葛菜。
ついでにクロアゲハが諸葛菜の蜜を集めている所

蒼い糸蜻蛉

昨日の朝、我が家の庭にイトトンボが。
蒼い色して、イトトンボの、なんというトンボ? と、思わず iPadで、撮影。
近づいても逃げずに撮影に応じてくれた。ごく普通のイトトンボとはほぼ毎年お目にかかっているが、こんなに綺麗な色のとんぼ、初めて。

それと今朝がた、咲き始めた、石楠花を。
掲示します。

笹の葉に止まったイトトンボ
なんというトンボか教えてください
笹の葉に止まったイトトンボ
石楠花
折りたたまれている数が全部咲ききれないうちに、先のは朽ちそう
石楠花

『レオナルド・ダ・ヴィンチ生誕570周年Paris アート・カイエ展』

上記のカイエ(ノート)展が去る1月18日〜21日まで「ギャラリー モナ・リザ」において開催された。
その報告書が届いている。ノートと、記念のピン📍は既に入手済み。
カイエ(Cahier)は、ダ・ヴィンチがおよそ40年間で15000ページに渡り、芸術作品や、発明、数学などの研究を書き留めて来たといわれており、ダ・ヴィンチを語る上で欠かせない存在とのこと。
「ギャラリーモナ・リザ」はパリの7区にあるそうです。
オーナーのイザベル・ロミック氏が私のカイエを見てくださっている写真が届きましたので、
アップしてみます。
ありがとうございます。

ギャラリーオーナー イザベル・ロミックさん
ギャラリーオーナー イザベル・ロミックさん
多田祐子の 「日本」
多田祐子の 「日本」

春のアート展終了

世田谷区の代田のスマートシップギャラリーでの「春のアート展」が終了して行ってくださって人たちから、写真や
動画が届いた。4点出展した。前に出来ていて、未発表のものがあったので、加えたが、3点は淡い色彩のものばかり。
アップしておきます。
それと、双葉葵の様子をご覧下さい。

左から 列島 春の子 ともしび 4 番目ド忘れ
左から 列島 春の子 ともしび 4 番目ド忘れ
双葉葵  下向きのエンジ色の花はまだです
双葉葵  下向きのエンジ色の花はまだです

白い花の春

我が家の庭は今からは白い花が咲きます。
ピンクの花は終わりました。
灯台躑躅(ドウダンツツジ)は陽が当たらないので、花の数は少ないのです。
当然紅葉の頃のこうようは哀れです。移し替えたいところだが、花壇に根を下ろしているので、私には無理。
今日の夜のメニューはタラの芽の天ぷら、よもぎの天ぷら。それににんじんを少し。
タラの芽は、ちょうど食べ頃なのに、木が高くなりすぎで、夫が作った道具が届かずに、届くところの4個で諦めた。
通りがかりの人に差し上げるからといって、採っていただこうとしたが、使い慣れない道具は、無理でした。
上を見ていて、足元が、崖。少し滑り、お気の毒。

昨日の笠間市からのお客様が、菜の花をくださった。
湯がいて、オリーブオイルで美味。明日の朝の分もあって、しあわせ。

白い花を掲示します。

さつき
さつき
サツキ
サツキ
サツキ
サツキ
2輪草
2輪草
白椿が最後の椿
白椿が最後の椿
11月ごろから先継ぐつばき。もうおしまい。
11月ごろから先継ぐつばき。もうおしまい。
いただいたスミレの花は第二弾
いただいたスミレの花は第二弾
灯台躑躅 去年よりは花が多い
灯台躑躅 去年よりは花が多い
金柑 花橘の実 花は白色  みかんは全部タイワンリスの餌に
金柑 花橘の実 花は白色  みかんは全部タイワンリスの餌に

ソムラップ・キテヤコーン殿下ご薨御

1998年、タイランドでお目もじ。妃殿下のナバラットさま、王女の小さなお嬢様ともお会い出来たのですが、もう25年も前になる。
9回タイランドに渡ったが、いつもホテルに訪ねてくださったり、ソンサワリ王女殿下(現在の)との撮影の時にはナバラットさまが、
ソンサワリさまの隣に並ぶようにと取り計らってくださったのです。
小さな王女殿下からは、赤いカチューシャや、コインの入っている極小さくて可愛いお皿を頂いております。まだ開けていないのですが、
ブルーの縁取りのあるお皿です。
ソムラップ殿下は72歳で一期を終えられました。2月25日がご命日。胃癌を患っておられたご様子。お亡くなりになってから一月近くになって知ったのでした。
昨日は歌ができました。下記します。そしてご冥福をお祈りいたします。

雨降る日哀しき報らせソムラップ殿下ファミリー泣きつつ居らむ

この我らが居間にお遊びパチンコを手にされ笑まひし日のありしよ

Yの字の小枝で作りしパチンコを“こうか ”と仕種我が家の居間で

夫施設殿下の訃報処在なきまで悲しみつ我は眠れず

ナバラット妃殿下いへりナットでと初タイランド仲良しこよし

王様の最側近を務められ息災とばかり思ひおりしを

この六年夫の病にコロナ禍でひと月を過ぎ知る殿下ご薨御

1999年12月2日 シラパコーン大学の展覧会・第2回目訪問時
ソムラップ殿下と金城
1999年12月2日 シラパコーン大学の展覧会・第2回目訪問時
1999年12月2日・アユタヤでタイ式のおもてなしをいただく
殿下から頂戴の紫色のマフラーを
1999年12月2日・アユタヤでタイ式のおもてなしをいただく
2002年8月22日ソムラップ・キテヤコーンファミリーと。王子と王女殿下
私の絵の前で。シラパコーン大学の美術教科書に載った二つの作品の前で
2002年8月22日ソムラップ・キテヤコーンファミリーと。王子と王女殿下
2006年11月。ナバラット妃殿下からの貝の首飾りをつけて
見送りにいらしてくださった妃殿下とソムラップ殿下
2006年11月。ナバラット妃殿下からの貝の首飾りをつけて

弥生も半ば

庭に置いてある水琴窟にヒヨドリが来て水浴びをしている。慌てて,綺麗な水にかえて、見ているが、綺麗にしてあげたら来ない。なんということ!
ピンク色の椿がたくさん咲いて毎日、メジロが来る。大きなヒヨドリが来ている時には小鳥は来ない。
ヒヨドリは逆さまになったり枝渡りを続けて,ずいぶん長く滞在する。そのうちに花ごと食べてしまうが、今はまだ蜜があるらしく、敵に気を付けながら花に顔を埋めて、蜜を集めている。春早いうちは窓に映る自分を敵と思い、トントントンと、叩くが、もはや学習して叩くことはない。窓ガラスが割れてしまうんじゃないかと、心配するくらいの回数。夫の枕元に近いところにある窓ガラス以外でも叩いている。

昨日双葉葵の周りの草を取り除いた。5月の葵祭りに葵の双葉を送るために、養生を。
昨日の今日撮影した。太い茎と若芽が逞しく伸びている。
5月13日頃までには、葵祭りに役にたつくらいに育つ。

夫は、クリアーな日には、声をあげて泣くので、もっとクリアーになったら、車椅子で外に連れ出そうと考えている。
WBCの大谷翔平の活躍とか、かっぱ村(同好会・日本の)の面々の話を聞かせると、泣きそうに顔を歪める。
かっぱ村は再来年が50周年祭だが、来年夏に、前倒しで50周年祭をしようという意見が多いと、聞かせている。
再来年まで体が持つかなー?という人も多くいる高齢化の村なのです。

我が庭、荒れ放題のままに。

双葉葵の茎と新芽
双葉葵の茎と新芽
上と同じ
昨日は葉がもっと小さかったの
上と同じ
水琴窟
水琴窟
花桃の咲きそうな蕾
花桃の咲きそうな蕾
床に虹が!
ほんの5分ほどの滞在
床に虹が!

辻村寿三郎さん逝く

 新聞によると2月5日、お亡くなりに。近すぎないご近所にお住まいだった。ヒョンなことからお近付きをいただき
奥さま(前の)のK さんとは以来ずーっと、離れず,つかずのお付き合いをしてきたのです。
海外の絵の出展やら、展覧会の事などでは、アドバイスをいただきました。期せずして、自転車のK さんと、会うのです。今こういうのもが来ていて、迷っている、といったことを問わず語りでお話しすると、「無理してでもやりなさい! ヨーロッパは評論家のネットワークが日本と比べようもないほどいいから」と言った具合です。
お陰で、多田祐子の絵はヨーロッパで、知られるようになり、パリのカルーセル・デュ・ルーブル での展覧会が出来たのです。ルーブル本館から毎日見に来てくださった方が、最終日に永遠に使えるチケット2枚をプレゼントしてくださいました。夫金城と、弟夫婦、そして毎日来ていたよ!と教えてくださった画商のM氏と5人で乗り込んだルーブルでした。

横浜での人形展の時にいただいた大型カタログを出しました。Kさんは、家に一枚も無い!のよ。と。
1983(昭和58)年に描いた「人形師」という絵、辻村寿三郎さんに差し上げた絵です。
辻村さんの人形は怖いくらいの迫力。
多田祐子の絵は可愛いでしょ!  ひたすらご冥福をお祈りいたします。
そしてブログしておきます。実は遥かにKさんとご一緒に偲んでおります。Kさんは3首の歌を献げて涙の雫を
拭っておられます。さようなら

ジュサブロー さんの大型カタログより
表紙
ジュサブロー さんの大型カタログより
6面
6面
7面
7面
4面
4面
裏表紙
「人形師」 多田祐子作 1983年
「人形師」 多田祐子作 1983年

アーティスト エリタン ドウ ラ ヴォロンテ ドユ グラン オム

レオナルド・ダ・ヴィンチ生誕570周年記念 特別授与称号 という称号が送られてきた。
芸術文化国際推進委員会 からであった。
アート・カイエ展、『レオナルド・ダ・ヴィンチ生誕570周年記念Paris アート・カイエ展』への発表に対して、
アート・カイエ3冊が特製の専用ケースに収まって届き、特別授与称号の証としてラベルピン、いわゆるピンブローチ、職人による手作業にて制作されたものが桐の(と思う)箱入りで同梱されていた。
アート・カイエ、手帳であるが、表面は私の絵、“ニッポン”。裏面はダ・ヴィンチの絵、3種が印刷されている。
どうも使用するには勿体なさすぎる。ご保存用としてお蔵入り。お蔵はまだ無いが。
イタリア・フェドリゴーニ社製の特殊紙を採用してあるそうだが、防汚・防水加工はされていないとのこと。
湿度の高い日本での保存。いつしか湿気を吸って、紙が膨張しそう。
使うが良いか?保存が良いか? 考えさせられるところではある。
掲示します。

アート・カイエの裏表紙 
アート・カイエの裏表紙 
説明書とラベルピン(上)
説明書とラベルピン(上)
多田祐子の“ニッポン” の表紙 での手帳 3冊そして専用ケース左上
多田祐子の“ニッポン” の表紙 での手帳 3冊そして専用ケース左上

第65回 多田祐子展の報告

昨年11月30日からの展覧会の模様を美術年鑑社の新美術新聞が掲載してくださった。
送っていただいたので,自分の部分だけを掲示します。
およそ160人のご来場でした。

2月1日発行の新美術新聞より
撮影/廣岡・担当ディレクター(アートラボ) 使用
2月1日発行の新美術新聞より