50年前の写真を

見つけました。懐かしくて、居間の床に置いておいたことをすっかり忘れて、探していたのです。
沖縄復帰式典の日本武道館に向けて行列している私。後ろの人たちはどなたなのか思い出せません。
前を行くおじさんたちが3人写っているのですが、ご存命ですと、叱られるやも。トリミングしました。

この頃、婦人公論に詩を投稿していまして、選者が関根 弘氏。何かマイクを握って話している私の後ろに写っている
人がその関根弘氏。ここが後にかっぱ村の新年会を開催する所になって、現在も続いているのです。初め、この地下にあるお店に入ったときに、ウーン!なにか来たことがある? だったのです。

末次一郎事務所時代に安全保障問題研究会、略して安保研の国際会議が京都国際会議場であったのですが、
私はその時、“ あご あし 宿 ” が担当でした。
ホテルにどの先生が泊まる、いつお帰りになる、食事は何人分といったことです。
写真はロシアからの先生の秘書でしょうか。一緒に枇杷の実を食べているのですが、それ以来枇杷の実が好きになりました。あまり甘くもない果物。とにかく47年くらい前の時代ですから、そんなに現在のようにいろいろと贅沢な果物ってありませんでした。
白いパンツスーツをきていますが、この洋服は森英恵さんが、白い色が似合うのね、と言って下さったもの。
その人が森英恵さんとは知らずに、森英恵の店で買ったものでした。

井の頭公園の近くに住んでいた頃はよく公園で絵を描きました。もう描くところがなくなってしまったぐらいでした。
写真は姉が写してくれたもの。しかし、姉が娘をあやしているものがあって、これは誰が撮ってくださったやら?
姉はこの頃はそう遠くないところに住んでいたんで、こんな写真がある。ありがたい。
先日飴デザイナーが送ってくださった飴を小分けしてくれた姪が、大学生の娘と中学2年の息子がいる。
50年。いろんなことがありました。
金城は沖縄には小学校の6年の最後のほうから、高校までのおよそ6年間しか住んでいなかったのです。
4歳から12歳まで育った福岡県の筥崎宮の近くが彼にとっては古郷。まあしかしながら沖縄もふるさとに違いない。

沖縄本土復帰記念式典に向かう
沖縄本土復帰記念式典に向かう
京都国際会議場で休憩時間にロシアの青年と枇杷の実を
京都国際会議場で休憩時間にロシアの青年と枇杷の実を
井の頭公園で姉とその娘  そして私
どなたが撮ってくださったやら
井の頭公園で姉とその娘  そして私
姉の撮影
姉の撮影
ノアノアでの「おんなの机」出版記念の会
後ろが詩人の故関根弘氏 選者
ノアノアでの「おんなの机」出版記念の会

沖縄復帰50年

沖縄復帰50年なので、50年前の写真を探していました。
日本武道館で行われた復帰式典に参列したのでした。
末次一郎さんの元で働いていた時代です。復帰に奔走した末次一郎さん、知る人ぞ知るの人でした。
武道館に向けて行列が進行しているもので、ミニスカートの時代。私もミニスカートの時代があって
履いている写真なのです。
先年、何かの拍子に見たのですが、探すとなると見つかりません。

今日は、同好の村「かっぱ村」の2代目村長の告別式でした。かっぱ村から何人か駆けつけてくださったのですが、
夫金城が寝たきりなので、お別れの式には二人で参列できないという有り様。
2代目とはいえ「かっぱ村」を起こした、ノンフィクション作家。
一代目の中河与一の弟子で、中河与一を村長に担ぎ出した、という人。
彼の遺言で、金城は終身助役。急逝を耳にして、2日間程泣いていたのです。
先日も架かって来る電話に応じている私の声に胸を詰まらせたらしく、水がお腹に入りませんでした。
彼に聞かせつつ彼の気分で弔辞を書きまして、お届けしました。
僕よりはやく逝くなんてひどいじゃないか。
そんなに遠くに行かずに、僕が逝くときには出迎えてくれよ、な。
おなくなりになる24日前のお手紙に、『僕もとうとうダウンです。少し休みます。』とあって、
最後の力を振り絞って書いてくれてありがとう。といったいった内容でした。

お葬儀に参列してくださっている人たちを思いながら、そして何より突然、逝ってしまった村長の思い出
を、脳裏に描きながら、何も進まないので写真を探していたのです。見つかりませんでした。
びっくりして連絡して来る村民に説明して、「号外」をだしたのですが、開始時間を入れ忘れているので時間を告げたり死因を書いていないので、電話が長くなるのです。
金城のお夕飯、胃ろうで、半固形剤のラコールという栄養剤ですが、遅くなったりしました。

今日は薄曇り。花壇のサツキの花が咲き始めるようです。
黄花あやめは今年もちゃんと咲きました。

今日の一首
墨の香に誘われしか蜘蛛硯の辺行き来するかもみどりもゆる日

明日は開きます
明日は開きます
ふ入のサツキです
ふ入のサツキです

石楠花の開花

花壇の石楠花に折りたたまれている花弁が開き始めようとしている。
蕾は5つ。傍のサツキの上に覆いかぶさっている、アケビのツルを思い切ってカット。
このままではやがて石楠花に及ぶ。

新潟の知り合いから送られてきたサツキのひとむれが花をつけてから、およそ一週間。
ここだけに花が咲いて、後は新しい色の葉が繁っている。花は咲くだろうか?
カットする時期が遅かったのでいつものように、わずかな花で終わるかもしれない。
しかしまだ旧暦では3月。皐月、5月まで時間がある。
満天星ドウダンツツジは、写真を撮る前に花が終わって、葉を繁らせている。
白椿もたくさん咲いている。

先日夕刻迫る西の狭い庭に、お隣の奥さんと高枝切りで、タラの芽を採った。
天ぷらは美味しかった。次の芽はもう大き過ぎで、彼女も採ろうと言ってこない。
私の大好きな初夏の到来。ごく短い期間で、すぐに暑い夏が来る。
夫金城は暑がりで、ベッドで脂汗をかく季節。
ヘルパーさんが、よく熱を測ってくれる。籠り熱に気が付かずに、ふわーっと、熱風が伝わってくる。

石楠花の開花前と花壇のツツジを。

石楠花
石楠花
名付けて 洋生ツツジ
名付けて 洋生ツツジ

グループ展ふたつ

4月5日からの日アセアン友好文化交流展・国際機関日本アセアンセンターでの展覧会に最終日、駆けつけた。
この日は、牛久散歩の会を同好の会、いわゆるかっぱ村の行事で、朝早く家を出た。快晴でしかも寒くない一日。
牛久沼は樹々に隠されて、40年や30年前とは様子が変わっていた。芋銭かっぱ、そして何より我々かっぱ村初代村長中河与一の歌碑を新しい村民さんたちと、確認。撮影。小川芋銭のアトリエ雲魚亭は春の燻蒸中で拝観出来ず。
直ぐ近くに住井すゑさんの文学館が出来ていて、見学。令和3年度に開館という文学館は素晴らしいものだった。
この庭からは牛久沼が望めた。
昼ごはんは寿司ランチ。14名の集団。同じものを予約しておいて、私は東京御成門駅に向かった。
牛久大仏を見たいグループができ、案内してくださる運転手さんも、名乗りを挙げてくださって、帰宅組とに別れる。

御成門駅近くの会場は5時まで。どうにか4時に到着。お夕飯を一緒にしようと約束したお友達も現れて、展覧会のスタッフさんたちとお喋りもそこそこに、会場を後にする。
昨日がお誕生日のお友達と、品川駅構内で、あれこれレストランを見て回った挙句、パスタで決まり。

4月12日。下北沢に。こちらもグループ展。3点出品。
9日に牛久でお会いした、笠間焼の研究で大学院に学ぶ、博士課程の聰子さんが来てくださり、やはり9日に御成門駅近くの会場にも来てくださったお友達則子さんと3人で、グループ展を観賞。
その3人官女⁉️で、お昼。リゾットメニューは則子さん。フレンチトーストは聰子さんと私。
水戸市から来られた聰子さんは、立ち並ぶお店を覗きたい❣️というので、彼女を路上に残しサヨナラ。

今下水道工事が続くこの近辺の道は日替わりで、通れなかったり。近くまで来てみないと、今日の工事は終了、が判らない。帰宅後改めて、郵便局へ車を走らす。

写真が大き過ぎで載らない。編集し直して載せます。
庭の伸び放題のカラスノエンドウやら、刺草を刈らずに、豆冊子本を組んでいる。

14日施設から帰宅する夫、8泊9日の不在である。

小川芋銭の河童碑  後ろに隠れているのはかっぱ村民の長老
4月9日/ 碑面にきざまれてあるのは『誰識古人画龍心』・七言漢詩
小川芋銭の河童碑  後ろに隠れているのはかっぱ村民の長老
日アセアン友好文化交流展に出品の「隠れ家」6号
日アセアン友好文化交流展に出品の「隠れ家」6号
春のアート展・スマートシップギャラリーで
左則子さん 右聰子さん
春のアート展・スマートシップギャラリーで

  豆冊子No.45

4月に入った。花冷えで寒い。庭の白い椿の花がいつから咲いたのやら、落ちていて、ああ何日間か庭を眺めて居なかったんだと思う。
東側の庭は一面に春の草が生い茂って伸びつつある。眺めて居る間にも伸びる勢いを感じて、小さな花を付けているくさぐさを、まぁ刈らずにおこう! と、玄関に入る。
今、豆冊子の45号を作りかけていて、取り敢えず4冊ホチキスで留めた。仏壇にご報告。夫金城は今日の午前中から施設に、ショート・スティ。洗濯物をピックアップしに行く時に一冊持って行こう。手に握りしめてくれるので、嬉しくなるが、コロナで会うことは出来ないから、
想像だが、いつもそうしてくれる夫。
今回は68首で止めた。ここのところ前書き、後書きを入れている。同好会の二代目村長でノンフィクション作家 O 氏が、前書きか後書きを入れたら、多田さんの世界が深みと広がりが出るんではないの、と、アドバイスを下さった。で、書き出したら書いておきたいことが山ほど有って、両方書いている。ご感想は怖いので訊いていない。

本の表紙、裏表紙をアップします。

また、二月にグループ展を開催して下さった、企画会社さんと、会場だった西山美術館さんの特別企画で、第65回多田祐子展を開催することが決まったので、その事もご報告します。
今年の年末、12月7日〜18日の期間。月曜日、火曜日が休館なので実質10日間です。
豆冊子の中に歌があって、ご一緒に行って下さった作家の S さんが花壇に敷き詰められたピンククオーツを、なにやら欲しそうに、見ていたのでした。
西山美術館は、『ロダンの彫刻群と、ユトリロのあの白い作品』がコレクションされています。また、さまざまな、宝石になる元の石、大きな「世界の銘石」が展示されていて、ピンククオーツもその中の一つです。近くなりましたらご案内いたします。
12月寒くはなりますが、今、戦争とこのコロナのことが収まることを祈って、日々を一生懸命に活きたいものです。

  豆冊子の両表紙
  豆冊子の両表紙

花桃の開花

ここのところの陽気で花桃の花が咲き出した。
隣で咲いている椿はもう4ヶ月間咲いては散りしながら咲いている。
西に植えられたピンク色の椿も花を落としながら、まだ咲いていて、夫の寝ている側の窓からまだ沢山咲いていてくれるのが見える。白椿はこれからだ。未だ蕾が硬い。
3月11日に撮影した二葉葵が葉を出し始めている。

こんな暢気な事をしているが、昨夜の大地震には眠りかけれいたところを、揺り起こされ、なんて長い地震なの。
もうこれ以上大きな揺れに変わったら、もう観念するしかないわね、と、車椅子もない我々は、逃げる事はしないでおこう、と決めて揺れが収まるのを待った。
大なゐに収まりゆくをじっと待つより他に術なきを知る夜

など、思いながら、戦争をしている国が在ることの愚かさを、夫の傍らで思い、ラジオをつけ、津波が小さいことに
は少し安堵して、眠りについた。

花桃。咲いている枝が届かない
花桃。咲いている枝が届かない
二葉葵
二葉葵
二葉葵の上に咲くピンクの椿
二葉葵の上に咲くピンクの椿
11月から咲いている椿
11月から咲いている椿
これも長く咲き続ける
これも長く咲き続ける
赤い椿が向こうに
赤い椿が向こうに

雨乞いの水撒き

あまりにも雨が降らずに、庭の金柑の実、姫橘の実が、しょぼくれている。パリッとしないので、先日水撒きをした。
いわゆる雨乞い。叶って、昨夜は適当に降ってくれた。もう少し欲しいところだけど、多分今夜も降るだろう。
カラスが咥えて物置小屋の屋根で、巧みに突き、金柑の実を味わっている。
私も4 5個摘んで、今日の分のビタミンCを摂る。
暖かい一日を、昼寝して過ごそう。金城は気持ち良さそうに睡っている。金城の歯磨きはいつもより遅くなって
さっき終えたので、しばらく起こさずに済む。といっても、あと50分で、お昼になる。

庭のイヌフグリが色鮮やかに。雨のお陰。

オオイヌノフグリ
オオイヌノフグリ
姫橘の実
姫橘の実

3,11

3,11. 午後2:46分 からの黙祷を東日本大震災で犠牲になられた方々への1分間を終え、プーチンと、ウクライナの戦闘の一刻も早く治らん事を祈念した。21世紀の戦いはあまりにも酷い!
   
    なにゆえに争ふなりやこの星にあ(生ま)れて死にゆく皆ともがらを
      祐子 「stop the War」より

さて、上賀茂神社の二葉葵を育てている。里親である私はここ数年五月の葵祭りにあわせて、二葉葵を箱に詰めて送っている。フト今日庭に出てみると、あふひの芽は眠っていて、一瞬枯れてしまった!かと慌てる。よく見ると太い茎が地面から出ている。一安心。あと二月で葉を繁らせてくれないと、と邪魔な草を取り払う。半日陰以下の日陰。
先のブログから1ヶ月。何か特別なことはしていない。時間が勝手に進むうちに、ひな祭りも過ぎ、啓蟄が過ぎた。
2月28日の八せん始めの次の日この辺りは雨が降る事がなくて、今日その八せんが終わる。
雨が無いので、庭の金柑の実がパキッ、としない。
オミクロンの予防接種では2日後から疲労感が続き、食べ物を戻してしまった。
胃にしばらくの間違和感があって、2日間半ほど、元気になれずにいた。
夫は8日に市民病院でのペグの交換を。一年に一回の交換で、介護タクシーに乗る。
外はいいお天気なので、目を開けて、といっても瞑ってばかり。
翌日9日、自宅でオミクロン株の予防接種をしていただき、昨日も観察中だったが、幸いに支障なし。

新しいペグの交換処置の時の傷が痛むらしく、栄養を注入する時、眉間に皺をよせていたが、それも夜の一回で済んだ。最近は、泣くことが多く困る。良くなろうね!と励ましている。
昨日の夜、ちょっと笑った。嬉しかったけれど、すぐに泣き顔に。

3.11よ。といって、東日本大震災が11年を過ぎることの話をする。泣き顔になる。
記憶があり、良いような、可哀想な。で、治ろうね!と言って励ましている日々。

上手い具合にタラノキの先に落下のツバキ
上手い具合にタラノキの先に落下のツバキ
二葉葵  世界文化遺産
この辺りには鹿は生息しておらず、無事に育つ
二葉葵  世界文化遺産
分かりにくいが、太い茎が見える
分かりにくいが、太い茎が見える

西山美術館 特別企画展に

初日の9日。「向春の芸術祭」と銘打って開催された特別企画展を覗きに出掛けた。10日11日と雪もよいの予報。14日には施設に預かっていただいている夫が帰宅する。27日までの比較的長い企画展ではあるが、夫の世話が始まると出掛けられなくなる。
起きがけに、町田市にお住まいのノンフィクション作家、少し先輩にSMSで、西山美術館行きを“急ですが”、とメールする。
何かご予定があるならタクシーで行こうと決めて。運良く、1時間半後に電話があって、車で行こう!鶴川駅で、ということになったのは有り難い。この時点で私が出したはがきは未だ届いていなかったが、帰ったら来ていたよ。とのこと。以前と比べると郵便物が届くのが遅い。
とにかく紅水晶(ギネス世界記録認定)や大きな石の展示室を見せていただいて、3Fのユトリロ、4Fのユトリロを鑑賞。4Fのユトリロ館の一部屋を「向春の芸術祭」に当てていて、少ない数の作品がゆったりと展示されていた。
ユトリロは哀しい絵。この美術館がオープンした時に一度来ていて、ロダンの彫刻類、ユトリロの作品群を鑑賞させていただいた。その時よりもっと、ユトリロが哀しみでいっぱい。
我が作品については、美術館の壁で見るには少し迫力不足。小品でももっと迫力が無いといけませんなー!と反省。
疲れた頭のためにケーキ付きのコーヒーを。窓からは木立がもっぱら武蔵野。右手は都会の風景。
マイセンのカップでコーヒーを、シホンケーキ果物付きをいただき、作家斎藤充功氏のサイン入り分厚いご本を頂戴して、おまけに町田駅まで送っていただいて、帰宅した。電車がなにやら遅れてばかりの帰り道。
浅い春の一日を美術館で過ごした。斎藤先生有り難うございました。

陽だまりへこの身を移し人を待つこの如月を知らぬ街来て     祐子

ビートル と 椿(私の丘)
ビートル と 椿(私の丘)
ノンフィクション作家斎藤充功氏と喫茶室で
ノンフィクション作家斎藤充功氏と喫茶室で

  節分

夕刻、スーパーへ。恵方巻きを買いに。何やら何時にも無くこの夕刻に混雑。駐車出来るまでに少し時間がかかる。
沢山積み上げられて広告の品の恵方巻きがお客さんを待っている。夫金城は昨日から施設に預かっていただき、私一人分だ。いずれ、夫は
いまのところ、これは食べられない。ご飯を炊いてしまっていたので、マグロを買って海苔で巻き、自分で作ろうかとも思ったが、エエイ!
と買ったというわけ。
これから豆まきをしよう。「鬼も内」と。心を鬼にしないといけない日も在るでしょ!とは、諸々を教わる先生の言葉。
10年程前から「福は内、鬼も内」といいつつ豆まきをする。金沢の美味しい豆が昨日、Mr.F から送られて来ている。

スーパーを出てくると丁度というか、浄土というか旧正月3日の三日月が美しい。iPad を持たなかったので、携帯、ガラケイで撮影。
スーパーの駐車場は相変わらず、駐車待ちの車が並んでいた。急ぎスペースを空けた。三日月を。

旧正月3日の三日月
旧正月3日の三日月